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児童の携帯電話の使用に規制を行う方針が示されているようです。
Excite エキサイト : 政治ニュース こうした意見を踏まえ、報告書には(1)小・中学生に携帯電話を持たせない(2)機能を通話と居場所確認に限定する(3)有害サイトへの閲覧制限を法的に義務付ける――などの内容が盛り込まれる見通しだ。 実は、私はもうひとつの方法があると思っています。それは、「保護者がすべての通信内容をチェックできるようにする」という方法です。 子供の携帯やインターネットの使用で本当に問題なのは、子供たちが有害な情報に接するということそのものよりも、それをだれもコントロールできないということにあると考えます。 年頃の子供なら、たとえばポルノ雑誌やヌード写真などは読まないほうがおかしいし、それは今に始まったことではありません。こういうモノは、子供はそれなりの知恵を絞って、押入れやベッドの下などに隠しておくわけですが、もちろん、親は先刻承知。ほどほどに目をこぼしたり適当に処分したりして、一定のコントロールをするわけです。 ですが、携帯でもPCでも、インターネットはそうもいきません。子供が何をどの程度閲覧して、ましてそれをどう受け取ったのかは親には知る由もないし、子供も馬鹿じゃないから、簡単に履歴などは消去できる以上、そういうことはしていると見ていいでしょう。 そして、いわゆる学校裏サイトなど、子供たち自身がインターネットを一種の凶器にする事態も起こっています。これらはそれこそ大人たちの知らない世界であり、そこで何が行われていても、保護者は対処しようがないわけです。 もちろん、フィルタリングや、こういう手段自体を取り上げるというのは一案です。ですが、実は私自身、運営するサイトがブロック対象にされたこともあって、これらの手段には一定の限界を認めざるを得ません。(ちなみに、どう考えてもブロック対象となるサイトではなかったのですが、知人が言うには「肌色の背景を使用していたからじゃないか」とか。本当ならまさに絶句ですが。) その意味でも、この記事のようなディフェンシブな対策には限界を感じます。 インターネットの使用というのは、子供たちにとって諸刃の剣ですが、インターネットばかりの問題ではないでしょう。大事なことは、子供たちが何をしているにせよ、それを大人たちがちゃんと見ているのかどうかということです。大人に見られてはまずいものは、そもそもやっちゃいけないんだということ、それが基本ではないでしょうか。 そういうことを考えていて思いついたのが、先に言ったような方法です。たとえば、携帯やPCで閲覧したページの内容を、子供たちには消せない領域にキャッシュしておくとか、子供たちが送受信したメールは自動的に親や教師に転送されるとか、そういう方法です。少なくとも、そんな環境では援助交際や学校裏サイトは運営できなくなることは間違いありません。 もちろん、子供にもプライバシーというものがあるという意見はあるでしょう。ですが、子供部屋に鍵をかけて、大人が一切立ち入れなくするタイプの「プライバシー」が、いいことなのか悪いことなのか、その辺からの議論だと思います。 問題点もあるだろうことは百も承知ですが、子供たちが犯罪に巻き込まれないこと、ましてや加害者にならないためには、現実的にはこういう方法しかないんじゃないか、そんなことを考えています。
エスカレーターは「片側をあけない」のがマナー? | Excite エキサイト
「もともとエスカレーターは片側をあけないで乗ることが基本です。片側をあけ、急ぐ人が歩いて通るというのは、自然発生的に生まれてしまったもの。本来は、ステップの黄色い枠の中に立ち、必ず移動手すりを持つというのが、正しい乗り方ではないでしょうか」 まぁ、空けるな、とは私も言いませんけど、エスカレータの使い方に関しては、最近どうかと思うことが多いです。 とりあえず、最近はエスカレータで歩く人自体、減ってきたように思います。マスコミで事故例なども紹介されて、エスカレータの上で歩くことが危険であるという認識が広まってきたからではないかと推測しますが、それは大変結構なことかと思います。 ですが、「片側を空ける」というのが、暗黙のルールとして残っているようなんです。そうするとどうなるかというと、片側がまったく空いているのに、立って乗る人たちの側に行列ができるんですね。 言うまでも無いことなんですが、両側使えば、時間あたり倍の人が移動できるので、行列はなくなるのですが、列があると並びたくなるもの人の性なのか、律儀に片側を空けたまま、行列は伸びるばかり。駅のホームのエスカレータなどでは、行列が伸びすぎて危険を感じることさえあります。 2人分のエスカレータを片側空けて、下では行列ができているサマはなんとも滑稽で、そのうち「世界びっくりニュース」かなんかで紹介されるんじゃないでしょうか。そうなれば、まさに日本人の恥ですね。 私はそういう時、空いている側に切り込んで(^^;)じーっと立って乗ることにしています。 そうすると、あとから1~2人続いてくれて、徐々に2列になることもあるし、誰も続いてくれなくて、一人ぽつねんと右側にいることもあります。 なんにせよ、この国の人はどういうときに頭を使ってるのかと疑問に思う瞬間ではあります。 もうひとつは、子連れで利用する場合です。 私も娘(2歳)と一緒に利用することがありますが、あたりまえですが、2人並んで使うわけです。当然、片側あけるわけには行きません。たまに後ろから煽られたりもしますが、これだけは譲れません。 で、私が気になるのは一人乗りのエスカレータではどうしろというのかということです。 並ぶのは難しいし、違う段に乗せるのもちょっと。だっこして乗るというのも考えましたが、荷物があったりしたら無理だし、だいいち、手すりにつかまれないから危ないだろうし。 一人用にしてしまえ、とか言う人って、本来なぜ2人分の幅があるのか、考えてないんでしょうか。幸い、娘といったところで一人用のエスカレータにはあたったことは無いのですが。 私としては、エスカレータがすいていれば、親子連れなどがいない場合なら、決まった片側空けておくのもいいんじゃないかと思いますし、実際、あけて乗ると思います。 と、いうのも、中途半端に空けないで乗っていたりすると、無理な追い越しを試みる人なんかもいそうで、かえって危ないかもしれないし。 要は個々人が周りを見て状況を判断してやればいいことなわけで、「あけないのがルール」などというものどうかとは思います。 とにかく、この国の人たちは「状況によって」ってことがどうしてこうも苦手なんでしょう。 「○側をあける」というのも、きっと最初は「すいているときはあけたほうがよい」だったと思うんですが、いつのまにか「どんなときでもあけなければならない」になって、いつも間にか親子で乗っていると舌打ちをされるようになってしまう、たまりませんね。 日本人の国民性が垣間見える現象ではあります。
Excite エキサイト : 経済ニュース
リニアの実用化ということで、反論が噴出するかと思っていたら、ニュースもブログも案外冷静に受け止めているようで安心しました。 現在の東海道新幹線の建設のときに、「世界の3バカ」とまで言っていた知識人がいたようですが、現状を見てどう思っているのでしょう。愛・地球博の失敗を断言した人たちも、今は口をつぐんでいるようですが。 でも、だからあえて言いますが、実用化は慎重に進めて欲しいと思います。 逆説的ではありますが、新幹線も、愛・地球博も、内外のすさまじい逆風にさらされつつも、それらの課題に真正面から向き合い、汗と知恵を絞った結果、一定の成果を残すことが出来た側面もあるでしょう。あんまり、ちやほやしてしまうと、「誉め殺し」でかえって失敗するかもしれません。 技術的な課題もそうですが、政治的、経済的、あるいは社会的な課題もまだまだ山積しています。いざはじめてみれば、時には失敗もするでしょうし、費用や時間は予定通りには行かないものです。そういうとき、この国の「世論」はとても冷たいのです。釈迦に説法とは思いますが、それを、従事する人には十分に覚悟しておいて欲しいと思います。 温かい言葉は、そのときまで取っておきましょう。
Excite エキサイト : 社会ニュース
特急電車内で女性が強姦された。当時、その車両には40人もの乗客がいたが、だれも犯行をとめようとしなかった。あまつさえ、誰ひとり車掌や外部に通報することもしなかった。信じられない卑劣さ。日本人のモラルは地に堕ちたのではないか。 被害者の方には、正直かける言葉もありません。ただ、それを「卑劣」で片付けるのは危険です。と、いいますか、このような事件は、実のところよく起こっているのです。 社会心理学では「傍観者効果」とかいうそうですが、数多くの人が周りにいたのにもかかわらず、だれも被害者を助けない、という現象は、しばしばおきることが知られています。傍観者効果というのが何なのかは、下記のページに詳しいのでご参照ください。 傍観者効果 <追記>傍観者効果とは、次のようなものです。(我流の解釈ですが。) ○「自分がやらなくてもだれかがやるだろう」「私よりできる人がいるだろう」と、『全員が』思ってしまう(多数の無知) ○「うまく処理できななかったらどうしよう」「むしろ迷惑がられるんじゃないか」と、失敗してそれを他の人に見られることを恐れる(聴衆抑制) ○「何かあっても、わるいのはおれだけじゃない」という、(自分への)いいわけをしてしまう(責任の分散) つまり、その場に居合わせたのが「一人だけ」なら助ける、あるいは助けてもらえるのに、それが多数であるがゆえにお互いにけん制しあって、結果的に助けてもらえなくなるというのが「傍観者効果」です。 <追記終わり> 今回の事件からわれわれが教訓として得るべきことは、まわりに人がいるほど、逆にその人が助けてもらえないケースが、現実にあるということを、「知識」として持つべきだということです。それは、必ずしもその場にいる人の倫理や勇気の欠如によるものではなく、人間の心理にある「落とし穴」のひとつなのです。 落とし穴にはまらないためには、その落とし穴についてよく知っておくことが大事です。私としては、このような事件があったときこそ、「傍観者効果」のなんたるかを、社会に広く知らしめることこそ、マスコミの使命だと思うのですが。 あるいは、列車の社内の構造にも問題があったかもしれません。傍観者効果というのは、 ○自分以外に問題に対処できる人間がいることがわかっている ○自分以外の人が、この問題に対処していないことがわからない という場合に起こりやすいことですが、座席が林立して、中途半端に見通しの悪い列車の社内というのは、傍観者効果を誘発しやすい構造なのかもしれません。何らかの改善の余地もあるかもしれません。 対処しなかったものを、そうやって叩きのめすのは簡単ですが、それが再発防止に役立つかといえば、私には疑問です。むしろ、「なぜ」を冷静に問い、どうすればそれを防げるかを、精神論ではなく論理的に分析する、ある程度学術的なアプローチが必要でしょう。 いずれにせよ、そういう「基礎知識」すら微塵も感じられない、こんな記事が「報道」として扱われるということに、この国の危うさを感じます。
石原知事を擁護するつもりはさらさらありませんが、さすがにこの発言はあんまりじゃないでしょうか。
Excite エキサイト : 社会ニュース 井戸知事は「阪神大震災の問題は、不意打ちだったということ。犠牲になられた方はほとんどが圧死だった」と指摘。「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと。関東大震災に対する備えとして、一番の防災責任者となる知事がそのような認識を持たれているのだとすると、いささか心配」と話した。 自衛隊の出動が遅かった理由についてはいろいろな意見や見方があります。ですが、「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと」と、本当に現職の知事が発言したのだとすると、これは由々しき問題です。 阪神の震災直後、自衛隊の出動が遅れたことについては多くの方面から批判が集まりました。当時のテレ朝系のニュースなどでは、自衛隊は大変なバッシングを受けていたのです。ですが、そのベースには「自衛隊が早く出動していればもっと助けられた命があったはず」という認識があるわけで、それ以降、「如何に迅速に、如何に効果的に自衛隊を展開できるか」を、平時から考えておくべし、というのは、阪神で得られた教訓となっているはずです。 自衛隊の出動、特に県からの出動要請が遅れたことについてはいろいろな問題点が指摘されており、単純に当時の知事だけの責任と言い切れない面もあります。ですが、この発言はそれとは次元が違います。「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと」と、本当に言ったのであれば、知事の発言は、この「教訓」を完全に否定するものです。 たしかに、「遅くて2000人が死んだ」というのはあまり根拠のある数字とも思えません。なくなった方の8割、5498人のうち4461人が、当日の午前中にはなくなっているので、2000人も助けられたわけが無い、というならそれはそうでしょう。(参考:http://www.hyogo.med.or.jp/EQDOTA.htm) 実際に自衛隊が動いていたとしても、当時の情報収集能力や初動体制が十分だったわけでも無いし、どれだけの人を助けられたのかはわかりません。助けられたのは100人もいるか、せいぜい数十人、もしかしたら数人かもしれません。でも、かけがえの無い命です。少なくとも「脈絡の無いこと」というほど無関係だったとは思えません。 知事の言うとおり、阪神は不意打ちであったことが被害が拡大した一番の理由です。ですが、その責任は誰にあるのでしょうか。東京は、阪神の前から、それこそ何十年も、いつ起こるかわからない大地震を、「必ず起こるもの」として対策してきたし、東京都民はそれなりには構えているといえます。知事に心配してもらわなくても、「不意打ち」を食らうおそれはありません。 兵庫県知事が、そういう発言をするなら、私もぜひ聞きたいことがあります。 「兵庫県南沖地震に対して、備えをしていなかった兵庫県の責任というものを、知事はどうお考えなのでしょうか。」
Excite エキサイト : 社会ニュース
埼玉県の上田清司知事は2日、さいたま市で行われた新規採用職員就任式のあいさつで「自衛官は平和を守るために人殺しの練習をしている。国民の生命と財産を守るため。偉いと褒めたたえなければならない」と発言。それと対比して県職員の仕事について「人を疑ったり痛めつける練習をしなくてはならない仕事と違い、多くの方に喜びを与え、その喜びを自分のものに感じることができる」と語った。 ここで、「自衛隊」を「警察」に置き換えてみると、わかりやすいと思います。 警察というのは、「人を疑ったり痛めつける練習をしなくてはならない仕事」に他なりません。実際、警察官は捕縛術や射撃術を、状況によっては実際に人殺傷することを承知の上で、訓練を重ねています。言いようによっては、「人殺しの練習」と言ってもいいでしょう。そして、実際にそれを行使するケースもあります。警察官が職務上、人に向けて発砲したことは、過去にいくつも例があるのですから。 一方、実は自衛隊員が人に向かって発砲したことは、誤射を除くと一度もありません。 それを考えると、本当に、知事が他意の無い「人を疑ったり痛めつける練習をしなくてはならない仕事」の例として用いるのであれば、実際に人間に向かって銃を撃つことがある警察のほうが、むしろ引き合いに出すには適当ともいえます。 その上で、それを「人殺しの練習」などといわれれば、現場で本当にその「現実」と向き合う警察官、隊員がどう感じるのか、それを考えてみれば、知事の発言が適切か否かはおのずと明らかです。 失言というのは誰にでもあります。問題は、その後それをどのように正すかです。 続報によれば、「殺傷という表現ならよかった」とかおっしゃっているとか。思わぬ反応に多少動揺しているのかもしれませんが、頓珍漢というか、どこがどう違うのかさっぱりわかりません。 少々頭を冷やして、ちゃんと謝ってもらえればそれでいいとは思いますが、最低限、それは必要でしょう。
SPAM対策で、一旦掲載した記事を削除して再掲しました。コメントも、記事の一部として掲載しました。
#検索サイトのスコア稼ぎでしょうが、迷惑なものです。 御迷惑をおかけしますが、御容赦ください。 藤原正彦氏、ラジオで語る 先日投稿しました自分の上記の記事にmasi 様が情報くださいました。 コメントを、ご好意により一本の記事にまとめましたので、御一読ください。 ------------ 学校制度は日本で言う旧制です。根本的な考え方は能力主義、というと差別教育を連想しますが、こちらでは,能力に合った教育を与える事が平等と考えています。従って小学校から落第があります。理解出来ない授業をを受けさせるのは,その本人に対して不平等だと考える訳です。小学校を卒業すると能力により振り分けられます。これは日本でも良く知られているペスタロッチの、『人間には頭で仕事をする人、手で,又は体で仕事をするのに適した人が存在する』という基本に基づいています。 それぞれの名称は州によって若干異なるので、仮に上級、中級、下級、と名付けておきます。中級、下級の生徒達は中学を卒業すると職業訓練に進みます。上級に進学する生徒は将来学問を用いて仕事をする事が視野に入りますが、銀行員等の事務職や情報関係等の高度の職業学校に進む場合も有ります。中学校への振り分けは小学校の先生に任されていて、其の最も重要な判断基準は母国語の能力です。算数も若干考慮されます。その他厳しい勉学に耐えられるかという性格的な面も大切です。それを判断出来るのは小学校の担任の先生だけなのです。そうして中学に進むと、最初の半年は試験期間とされ、十分な成績が取れないと一つ下のカテゴリーに落とされるので,先生達も真剣で、可能性があると思えれば出来るだけ上のクラスに入れる様に考えています。生徒及び親がこの判断に承服出来ない時は、入学試験をに合格すれば,より上級の学校に通う事が可能ですが、学習の上でかなりの負担がかかるようです。また随時一年降年させる事により一つ上級に転校出来ます。そうして下級から二年費やして上級に移り大学迄進学した人を知っています。 かつて日本の国立大学で助手であった方が、スイスのある研究所の主任としてこられました、其のお子さん達は普通のスイスの小学校に入られたのですが、語学の問題を過小に考えておられた様です。あたまの良いお子さんで、数学は常に満点であったものの、ドイツ語が全く出来なかった為、下級への進学と判定され、初めて、事の重大さに気づかれたのでした。私の所にも相談にみえ、先生一人にこんな重大な決定が任されて良いのか、とか、外国人を差別するものだ、など激しく怒りをぶちまけておられました。上級の先生に相談した所、『経験則上小学校の先生の判定は殆ど間違っていない。不満ならば入学試験を受ければ良い。』という答えが返って来ました。結局その子は中級に進学し、一年後上級に転校し高校にも進んだのですが、大学進学は果たせなかったようです。日本から来た方には職業教育のシステムは理解し難い為、進学に固執し、結局失敗したのです。そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。そこに中学進学の選択の重要性があります。その際、国語力は、将来の職業の可能性を指し示している、と考えているのです。 根本的には、それぞれの生徒がどのような職業を選ぶのが良いか、という所から始まり,最も適した教育を効率よく受けさせる事が生徒に幸せだ、例えば棟梁になるべく、カンナでまっすぐに削るのに上達する為には中卒の方がよいであろう、という考え方です。ですから高校に進学するのは将来大学に進み,学問を必要とする職業を選ぶ人のみに限られます。ですから大学の進学率は20%を下回ります。高校を卒業すると,アビトゥーア,バカロレア等と呼ばれる大学入学資格が与えられ、それは一生有効で、日本を始め世界に通用します。私の知り合いで大企業の重役を勤め,退職した後美学の勉強を始めた人がいます。大学は総て国公立で入学試験はありませんが、其の勉強は厳しく、一つの単位を二年かけても取れない場合,追い出されてしまい、そうなると違う専攻をもう一度一年生から始め直さねばなりません。ですから落第しない人の方が珍しい位です。そうしてめでたく卒業するとは会社の中で良いポジションに就き、部下に専門学校を修了した熟練した専門家を従えて仕事をするのです。専門学校の出身者にも様々な勉強の機会が与えられ重役に昇進する人も珍しくありません。 このシステムの中で語学の重要性に気づかされたのは、数年前に出た、『チューリッヒ工科大学(ETH)が全国の高校に対し、もっと母国語を磨いて欲しい、という要望書を出した、』という新聞記事に接した時でした。ETHはアインシュタインを輩出した事でも知られる世界の名門校ですが、数学ではなく国語というのに興味を持ち,知り合いの高校の校長に聞いた所、国語力の低下には本当に困っている、と話してくれました。スイスでは独特の方言が有るのですが、それを書き取る事は大変に難しく、きちんとしたドイツ語を習得する事に成らないため、文部省から、正確な標準語を用いて授業するよう指示がでたそうです。法的には標準語を用いる事に成っているものの、方言を愛する教師も多く,必ずしも守られていないそうです。又,ETHの情報工学の教授に聞いた所、仕事は総てコンピューターを使って出来る。しかし、いつも苦労するのは論文を書く時なんだ、どう書いていいか本当に解らない事が有る。語学力の不足を痛感する。と話してくれました。 追補 >職業学校、専門学校 両方とも同じものを考えていましたが、異なった表記をしてしまいました。システムとしては、週三日仕事に就き,二日学校に通って,一般教養や専門科目の授業を受けます。職業高校というシステムも有り,其の場合週二日仕事、三日学校という割り振りになります。これを修了すると、専門の単科大学に進学出来ます。一般的に企業からは、ここの卒業生が大卒以上に歓迎されています。すぐに実践に使えるからです。 >そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。 高校を中退した場合,中卒と一緒に職業学校に入りなおします。大学の場合, 他の専攻をやりなおす場合が多いのですが、さっぱり修了出来ないまま、様々な科目を渡り歩き三十歳を超えてしまう人もいます。何らかの資格を得ようとすると,職業学校に入り直す羽目となりますが、アビトゥーアを評価されるので,修了期間が短くなり,又職種を選ぶ上でも有利です。何の資格をも持たないまま就職する人もいます。 ------- 提供いただきましたmasi様に、改めて御礼申し上げます。 Commented by flight009 at 2006-04-15 10:06 masi 様 毎度どうも。 うーん、今の日本とは対照的といってもよさそうですね。 ただ、「国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ、それはそれで、と、思ってしまいます。 私の通っていた高校も、当時としては珍しい、「能力別クラス編成」でした。(ただ、私もこの呼び方はなんだか嫌いだし、「学力別クラス編成」といったほうが、誤解が少なくていいと思っていますけど。) あんまり細かく言うと学校がばれますが、3年間変わらないホームルームのほか、数学と理科は「数系クラス」、国語と英語は「英系クラス」で、定期考査ごとに再分類されました。 ですので、自分のように数系は中の上、国語は下の下、というものでも、教科ごとに適切な授業を受けられたわけで、いっしょくたに分類されたらかなりつらいものがあったろうな、とは思います。国語の授業ではついていけず、数学の能力は伸ばしてもらえない、という感じになるでしょうから。 国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで、難しいところかもしれませんね。 Commented by masi at 2006-04-16 18:47 flight009様 >国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ >国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで 意識的に国語重視を書いたのでそのように読まれたのだと思います。確かにそのような面も有りますが、藤原先生の >国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、 というご意見に一致していると思います。日本語、英語を自由に操る数学者がこの意見を述べられている所に重みを感じます。最終的には総合的な能力が問われていて、思考は言葉で行い,算数は論理的な組み立てに寄与する、という位置づけです。この両者の組み合わせが重要であり,さもないと,算数が単なる数の遊びになってしまいます。受験の為には有効かもしれませんが。日本の国立大学工学部の教授を定年退官された方が見えたとき、いわゆる受験校からの学生は研究の役に立たない、と仰っていたのは,その辺りの事情でないかと思います。
小学生が「たかり」をしていたそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース <たかり>小5女児が多額現金渡す…被害額十数万円 北九州 北九州市八幡東区の市立小学校で、5年生の女児が同級生らから頻繁に金をたかられ、多額の現金を渡していたことが分かった。被害女児の保護者は「1年間で被害額は十数万円に上る」と話しているという。学校や市教委は事実関係を把握しながら、いじめとして対応していなかった。大庭清明教育長は11日、「極めて不適切だった」と陳謝した。 これを「いじめ」と括るのはおかしくないでしょうか。 もちろん、「学校の隠蔽体質」という、いじめ問題と共通する根があるとは思います。あるいは、「いじめ」も同時に行われていたのかもしれません。無論、教育長らを擁護するつもりなど毛頭ありません。しかし、詳細はわかりませんが、「恐喝」という刑事事件に相当することが行われた可能性が高いと思います。明らかな「犯罪行為」であれば、「非行」としての対応が必要です。 なんでもかんでも「いじめ」と括ってしまっては、問題の本質を見失いかねません。私は、大事なことだと思います。
ソフトバンクの携帯電話が、早速受付停止となったそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース ソフトバンクによると、番号継続制を利用した同社への乗り換え申し込みが午後から急増。加えて、既存のソフトバンクの顧客が新料金プランに変更する申し込みも集中し、システムが対応できなくなった。 ここではさらっと書いてあるのだけれど、「既存のソフトバンクの顧客」の申し込みが相当多かったことは間違いないでしょう。 で、肝心の、「自社携帯電話間の通話も0円になる」という料金制度なんですが、私も一応、調べては見ました。 ソフトバンクモバイルのトップページ 開くと、孫社長のメッセージが出てきました。「複雑怪奇な料金制度をリセットするという願いを込めた料金制度」ということなんですが、その先を読んでゆくと、ソフトバンクの料金体系のほうが、複雑怪奇どころか「さっぱりわからん」というのが私の感想です。条件の中にはさらに条件が盛り込まれ、追っかけてゆくのも大変なんですが、いろいろ読んだ結果、下記のような仕組みであるのかと考えます。 ○契約を結ぶ場合、まず、「スーパーボーナスプラン」に加入する。 このプランは、「新スーパーボーナス用販売価格」で、携帯電話を2年の月賦で購入すると、その代金を、「新スーパーボーナス割引額」だけ割り引く、というサービスらしい。解約した場合、その残高を払うということのようである。ただ、肝心の「新スーパーボーナス用販売価格」というのが、いくらなのか良くわからない。月賦の代金と、割引額がトントンになるのか、どちらかがちょっと多くなるのか? 基本的には、他社携帯でも良く使われている、「途中解約すると罰金よっつ!」という趣旨のプランなのだろうと、想像するのだが... ○「ゴールドプラン」の契約を結ぶ まぁ、当然なんだけれど、他社携帯に発信すると、そこそこの料金がかかるそうな。平日の昼間だと、30秒で28円、そのほか、時間帯によりえらく細かく分かれていて、「相手がどこでも均一料金」になれた自分は敬遠したいところです。 その他、無料のはずの同社間の通話でも、時間帯により制限があったり、留守電は無料じゃないとか、思った以上に落とし穴がありそうです。 結局のところ、孫社長のメッセージとは全く逆に、ちょっとやそっとでは理解できない、たいへん厄介な料金制度のようです。 「ただより高いものは無い」という言葉がありますけれど、申し込みも混乱しているようだし、皆さんも少し静観してはどうでしょうか。 P.S. むしろ、今回の扱い停止で、ソフトバンクから他社へ乗り換えようとした人がとばっちりを食ったようです。この人たちをどう救済するか、で、ソフトバンクの真価が問われましょう。 ソフトバンクのお知らせ P.S.2 共同通信および、NIKKEI NET の記事から。 共同通信 「携帯電話の契約を再停止 ソフトバンクモバイル 」 NIKKEI NET 「ソフトバンクモバイル、携帯電話の契約を再停止」 日経では、「利用者を管理するシステムの不備が原因とみられる。」と。「利用者の受け入れに向けた同社の見通しと準備の甘さに批判の声が上がりそうだ。」と、手厳しいです。 同記事でも指摘していますが、 携帯会社間での転入、転出の受け付け作業が増えるのを見越し、各社は事前予約の実施などでトラブル回避を図った。しかし、ソフトバンクモバイルは加入者間の通話やメールを無料とする新料金プランを直前に発表したことで顧客が集中、コンピューターへの入力作業など事務処理が追い付かなかったようだ。つまり、単なる「見込み違い」というより、「直前の発表」という「愚挙」に出たがために起こるべくして起こった人災、という見方をするべきなのでしょう。 口先だけじゃなくって、本気で反省してもらわないといかんのですが、どうなんでしょうか。
数学オリンピックの参加者が、思ったよりも数学に関する仕事についていないそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース 文部科学省科学技術政策研究所は20日、過去に国際数学オリンピックの国内予選で好成績を収めた参加者の調査で、社会人の約38%が「数学の知識を生かす職業に就いていない」と回答したと発表した。 ここで、数学を、野球に置き換えてみましょう。 高校野球で好成績(全国大会出場クラス?)をおさめた生徒のどのくらいが、現在野球に関する職業についているでしょうか。 きちっとした統計は私も知りませんが、調査してみれば、半数ぐらいがまったく「関係の無い」職業についているとしても、あんまり驚きはしないのではないでしょうか。 もっと極論してみましょう。 高校野球で好成績を収めた生徒が、野球とはまったく関係の無い職業に就いていたとして、それを嘆く必要があるでしょうか。そのような場合、彼の「高校野球経験」は、まったく意味の無いものとなるのでしょうか。 もちろん、そんなはずはありません。事細かに申すのもバカらしいので申しませんが、高校野球というものを通して彼が学んだものは、おそらくはどんな社会に行っても役に立つものであるだろうし、その社会(会社や団体)にとっても、おそらく有益なものとなるでしょう。 もちろん、「野球界」という、部分的な「社会」にとっては、その人が抜けてしまうことが「損失」であるかもしれません。松井選手や新庄選手が、野球界に来なかったのであれば、たしかに損失といえるでしょう。ですが、高校球児の半数くらいが「野球界」にとどまらなかったからといって、それをもって、まるで全世界の損失だ、というようなことを言うのであれば、それはどうかしています。 数学だって同じこと。 数学的な「センス」というものは、どのような世界に行っても役に立つものだし、要はその生かし方次第です。むしろ、38%という数字はかなり少ない印象なんですけどね。 今回の「統計」を、どう「利用」するつもりかはわかりませんが、これくらいの「アナロジー」ができなければ、それこそ、数学オリンピック参加者に笑われますよ。
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