スイスに於ける母国語重視

SPAM対策で、一旦掲載した記事を削除して再掲しました。コメントも、記事の一部として掲載しました。
#検索サイトのスコア稼ぎでしょうが、迷惑なものです。
御迷惑をおかけしますが、御容赦ください。

藤原正彦氏、ラジオで語る

先日投稿しました自分の上記の記事にmasi 様が情報くださいました。
コメントを、ご好意により一本の記事にまとめましたので、御一読ください。

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学校制度は日本で言う旧制です。根本的な考え方は能力主義、というと差別教育を連想しますが、こちらでは,能力に合った教育を与える事が平等と考えています。従って小学校から落第があります。理解出来ない授業をを受けさせるのは,その本人に対して不平等だと考える訳です。小学校を卒業すると能力により振り分けられます。これは日本でも良く知られているペスタロッチの、『人間には頭で仕事をする人、手で,又は体で仕事をするのに適した人が存在する』という基本に基づいています。

それぞれの名称は州によって若干異なるので、仮に上級、中級、下級、と名付けておきます。中級、下級の生徒達は中学を卒業すると職業訓練に進みます。上級に進学する生徒は将来学問を用いて仕事をする事が視野に入りますが、銀行員等の事務職や情報関係等の高度の職業学校に進む場合も有ります。中学校への振り分けは小学校の先生に任されていて、其の最も重要な判断基準は母国語の能力です。算数も若干考慮されます。その他厳しい勉学に耐えられるかという性格的な面も大切です。それを判断出来るのは小学校の担任の先生だけなのです。そうして中学に進むと、最初の半年は試験期間とされ、十分な成績が取れないと一つ下のカテゴリーに落とされるので,先生達も真剣で、可能性があると思えれば出来るだけ上のクラスに入れる様に考えています。生徒及び親がこの判断に承服出来ない時は、入学試験をに合格すれば,より上級の学校に通う事が可能ですが、学習の上でかなりの負担がかかるようです。また随時一年降年させる事により一つ上級に転校出来ます。そうして下級から二年費やして上級に移り大学迄進学した人を知っています。

かつて日本の国立大学で助手であった方が、スイスのある研究所の主任としてこられました、其のお子さん達は普通のスイスの小学校に入られたのですが、語学の問題を過小に考えておられた様です。あたまの良いお子さんで、数学は常に満点であったものの、ドイツ語が全く出来なかった為、下級への進学と判定され、初めて、事の重大さに気づかれたのでした。私の所にも相談にみえ、先生一人にこんな重大な決定が任されて良いのか、とか、外国人を差別するものだ、など激しく怒りをぶちまけておられました。上級の先生に相談した所、『経験則上小学校の先生の判定は殆ど間違っていない。不満ならば入学試験を受ければ良い。』という答えが返って来ました。結局その子は中級に進学し、一年後上級に転校し高校にも進んだのですが、大学進学は果たせなかったようです。日本から来た方には職業教育のシステムは理解し難い為、進学に固執し、結局失敗したのです。そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。そこに中学進学の選択の重要性があります。その際、国語力は、将来の職業の可能性を指し示している、と考えているのです。

根本的には、それぞれの生徒がどのような職業を選ぶのが良いか、という所から始まり,最も適した教育を効率よく受けさせる事が生徒に幸せだ、例えば棟梁になるべく、カンナでまっすぐに削るのに上達する為には中卒の方がよいであろう、という考え方です。ですから高校に進学するのは将来大学に進み,学問を必要とする職業を選ぶ人のみに限られます。ですから大学の進学率は20%を下回ります。高校を卒業すると,アビトゥーア,バカロレア等と呼ばれる大学入学資格が与えられ、それは一生有効で、日本を始め世界に通用します。私の知り合いで大企業の重役を勤め,退職した後美学の勉強を始めた人がいます。大学は総て国公立で入学試験はありませんが、其の勉強は厳しく、一つの単位を二年かけても取れない場合,追い出されてしまい、そうなると違う専攻をもう一度一年生から始め直さねばなりません。ですから落第しない人の方が珍しい位です。そうしてめでたく卒業するとは会社の中で良いポジションに就き、部下に専門学校を修了した熟練した専門家を従えて仕事をするのです。専門学校の出身者にも様々な勉強の機会が与えられ重役に昇進する人も珍しくありません。

このシステムの中で語学の重要性に気づかされたのは、数年前に出た、『チューリッヒ工科大学(ETH)が全国の高校に対し、もっと母国語を磨いて欲しい、という要望書を出した、』という新聞記事に接した時でした。ETHはアインシュタインを輩出した事でも知られる世界の名門校ですが、数学ではなく国語というのに興味を持ち,知り合いの高校の校長に聞いた所、国語力の低下には本当に困っている、と話してくれました。スイスでは独特の方言が有るのですが、それを書き取る事は大変に難しく、きちんとしたドイツ語を習得する事に成らないため、文部省から、正確な標準語を用いて授業するよう指示がでたそうです。法的には標準語を用いる事に成っているものの、方言を愛する教師も多く,必ずしも守られていないそうです。又,ETHの情報工学の教授に聞いた所、仕事は総てコンピューターを使って出来る。しかし、いつも苦労するのは論文を書く時なんだ、どう書いていいか本当に解らない事が有る。語学力の不足を痛感する。と話してくれました。

追補

>職業学校、専門学校

両方とも同じものを考えていましたが、異なった表記をしてしまいました。システムとしては、週三日仕事に就き,二日学校に通って,一般教養や専門科目の授業を受けます。職業高校というシステムも有り,其の場合週二日仕事、三日学校という割り振りになります。これを修了すると、専門の単科大学に進学出来ます。一般的に企業からは、ここの卒業生が大卒以上に歓迎されています。すぐに実践に使えるからです。

>そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。

高校を中退した場合,中卒と一緒に職業学校に入りなおします。大学の場合, 他の専攻をやりなおす場合が多いのですが、さっぱり修了出来ないまま、様々な科目を渡り歩き三十歳を超えてしまう人もいます。何らかの資格を得ようとすると,職業学校に入り直す羽目となりますが、アビトゥーアを評価されるので,修了期間が短くなり,又職種を選ぶ上でも有利です。何の資格をも持たないまま就職する人もいます。

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提供いただきましたmasi様に、改めて御礼申し上げます。

Commented by flight009 at 2006-04-15 10:06
masi 様

毎度どうも。

うーん、今の日本とは対照的といってもよさそうですね。
ただ、「国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ、それはそれで、と、思ってしまいます。

私の通っていた高校も、当時としては珍しい、「能力別クラス編成」でした。(ただ、私もこの呼び方はなんだか嫌いだし、「学力別クラス編成」といったほうが、誤解が少なくていいと思っていますけど。)

あんまり細かく言うと学校がばれますが、3年間変わらないホームルームのほか、数学と理科は「数系クラス」、国語と英語は「英系クラス」で、定期考査ごとに再分類されました。
ですので、自分のように数系は中の上、国語は下の下、というものでも、教科ごとに適切な授業を受けられたわけで、いっしょくたに分類されたらかなりつらいものがあったろうな、とは思います。国語の授業ではついていけず、数学の能力は伸ばしてもらえない、という感じになるでしょうから。

国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで、難しいところかもしれませんね。

Commented by masi at 2006-04-16 18:47
flight009様

>国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ

>国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで

意識的に国語重視を書いたのでそのように読まれたのだと思います。確かにそのような面も有りますが、藤原先生の

>国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、

というご意見に一致していると思います。日本語、英語を自由に操る数学者がこの意見を述べられている所に重みを感じます。最終的には総合的な能力が問われていて、思考は言葉で行い,算数は論理的な組み立てに寄与する、という位置づけです。この両者の組み合わせが重要であり,さもないと,算数が単なる数の遊びになってしまいます。受験の為には有効かもしれませんが。日本の国立大学工学部の教授を定年退官された方が見えたとき、いわゆる受験校からの学生は研究の役に立たない、と仰っていたのは,その辺りの事情でないかと思います。
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by flight009 | 2007-03-25 09:36 | 教育について思うこと
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