カテゴリ:教育について思うこと( 22 )

もうひとつの選択肢

児童の携帯電話の使用に規制を行う方針が示されているようです。

Excite エキサイト : 政治ニュース

 こうした意見を踏まえ、報告書には(1)小・中学生に携帯電話を持たせない(2)機能を通話と居場所確認に限定する(3)有害サイトへの閲覧制限を法的に義務付ける――などの内容が盛り込まれる見通しだ。

 ただ、(1)に関しては実効性が問題視されており、(2)の携帯電話は商品開発が進んでいない。(3)には「表現の自由」との関係で異論がある。


実は、私はもうひとつの方法があると思っています。それは、「保護者がすべての通信内容をチェックできるようにする」という方法です。

子供の携帯やインターネットの使用で本当に問題なのは、子供たちが有害な情報に接するということそのものよりも、それをだれもコントロールできないということにあると考えます。
年頃の子供なら、たとえばポルノ雑誌やヌード写真などは読まないほうがおかしいし、それは今に始まったことではありません。こういうモノは、子供はそれなりの知恵を絞って、押入れやベッドの下などに隠しておくわけですが、もちろん、親は先刻承知。ほどほどに目をこぼしたり適当に処分したりして、一定のコントロールをするわけです。

ですが、携帯でもPCでも、インターネットはそうもいきません。子供が何をどの程度閲覧して、ましてそれをどう受け取ったのかは親には知る由もないし、子供も馬鹿じゃないから、簡単に履歴などは消去できる以上、そういうことはしていると見ていいでしょう。
そして、いわゆる学校裏サイトなど、子供たち自身がインターネットを一種の凶器にする事態も起こっています。これらはそれこそ大人たちの知らない世界であり、そこで何が行われていても、保護者は対処しようがないわけです。

もちろん、フィルタリングや、こういう手段自体を取り上げるというのは一案です。ですが、実は私自身、運営するサイトがブロック対象にされたこともあって、これらの手段には一定の限界を認めざるを得ません。(ちなみに、どう考えてもブロック対象となるサイトではなかったのですが、知人が言うには「肌色の背景を使用していたからじゃないか」とか。本当ならまさに絶句ですが。)
その意味でも、この記事のようなディフェンシブな対策には限界を感じます。

インターネットの使用というのは、子供たちにとって諸刃の剣ですが、インターネットばかりの問題ではないでしょう。大事なことは、子供たちが何をしているにせよ、それを大人たちがちゃんと見ているのかどうかということです。大人に見られてはまずいものは、そもそもやっちゃいけないんだということ、それが基本ではないでしょうか。

そういうことを考えていて思いついたのが、先に言ったような方法です。たとえば、携帯やPCで閲覧したページの内容を、子供たちには消せない領域にキャッシュしておくとか、子供たちが送受信したメールは自動的に親や教師に転送されるとか、そういう方法です。少なくとも、そんな環境では援助交際や学校裏サイトは運営できなくなることは間違いありません。

もちろん、子供にもプライバシーというものがあるという意見はあるでしょう。ですが、子供部屋に鍵をかけて、大人が一切立ち入れなくするタイプの「プライバシー」が、いいことなのか悪いことなのか、その辺からの議論だと思います。

問題点もあるだろうことは百も承知ですが、子供たちが犯罪に巻き込まれないこと、ましてや加害者にならないためには、現実的にはこういう方法しかないんじゃないか、そんなことを考えています。
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by flight009 | 2008-05-18 00:10 | 教育について思うこと

スイスに於ける母国語重視

SPAM対策で、一旦掲載した記事を削除して再掲しました。コメントも、記事の一部として掲載しました。
#検索サイトのスコア稼ぎでしょうが、迷惑なものです。
御迷惑をおかけしますが、御容赦ください。

藤原正彦氏、ラジオで語る

先日投稿しました自分の上記の記事にmasi 様が情報くださいました。
コメントを、ご好意により一本の記事にまとめましたので、御一読ください。

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学校制度は日本で言う旧制です。根本的な考え方は能力主義、というと差別教育を連想しますが、こちらでは,能力に合った教育を与える事が平等と考えています。従って小学校から落第があります。理解出来ない授業をを受けさせるのは,その本人に対して不平等だと考える訳です。小学校を卒業すると能力により振り分けられます。これは日本でも良く知られているペスタロッチの、『人間には頭で仕事をする人、手で,又は体で仕事をするのに適した人が存在する』という基本に基づいています。

それぞれの名称は州によって若干異なるので、仮に上級、中級、下級、と名付けておきます。中級、下級の生徒達は中学を卒業すると職業訓練に進みます。上級に進学する生徒は将来学問を用いて仕事をする事が視野に入りますが、銀行員等の事務職や情報関係等の高度の職業学校に進む場合も有ります。中学校への振り分けは小学校の先生に任されていて、其の最も重要な判断基準は母国語の能力です。算数も若干考慮されます。その他厳しい勉学に耐えられるかという性格的な面も大切です。それを判断出来るのは小学校の担任の先生だけなのです。そうして中学に進むと、最初の半年は試験期間とされ、十分な成績が取れないと一つ下のカテゴリーに落とされるので,先生達も真剣で、可能性があると思えれば出来るだけ上のクラスに入れる様に考えています。生徒及び親がこの判断に承服出来ない時は、入学試験をに合格すれば,より上級の学校に通う事が可能ですが、学習の上でかなりの負担がかかるようです。また随時一年降年させる事により一つ上級に転校出来ます。そうして下級から二年費やして上級に移り大学迄進学した人を知っています。

かつて日本の国立大学で助手であった方が、スイスのある研究所の主任としてこられました、其のお子さん達は普通のスイスの小学校に入られたのですが、語学の問題を過小に考えておられた様です。あたまの良いお子さんで、数学は常に満点であったものの、ドイツ語が全く出来なかった為、下級への進学と判定され、初めて、事の重大さに気づかれたのでした。私の所にも相談にみえ、先生一人にこんな重大な決定が任されて良いのか、とか、外国人を差別するものだ、など激しく怒りをぶちまけておられました。上級の先生に相談した所、『経験則上小学校の先生の判定は殆ど間違っていない。不満ならば入学試験を受ければ良い。』という答えが返って来ました。結局その子は中級に進学し、一年後上級に転校し高校にも進んだのですが、大学進学は果たせなかったようです。日本から来た方には職業教育のシステムは理解し難い為、進学に固執し、結局失敗したのです。そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。そこに中学進学の選択の重要性があります。その際、国語力は、将来の職業の可能性を指し示している、と考えているのです。

根本的には、それぞれの生徒がどのような職業を選ぶのが良いか、という所から始まり,最も適した教育を効率よく受けさせる事が生徒に幸せだ、例えば棟梁になるべく、カンナでまっすぐに削るのに上達する為には中卒の方がよいであろう、という考え方です。ですから高校に進学するのは将来大学に進み,学問を必要とする職業を選ぶ人のみに限られます。ですから大学の進学率は20%を下回ります。高校を卒業すると,アビトゥーア,バカロレア等と呼ばれる大学入学資格が与えられ、それは一生有効で、日本を始め世界に通用します。私の知り合いで大企業の重役を勤め,退職した後美学の勉強を始めた人がいます。大学は総て国公立で入学試験はありませんが、其の勉強は厳しく、一つの単位を二年かけても取れない場合,追い出されてしまい、そうなると違う専攻をもう一度一年生から始め直さねばなりません。ですから落第しない人の方が珍しい位です。そうしてめでたく卒業するとは会社の中で良いポジションに就き、部下に専門学校を修了した熟練した専門家を従えて仕事をするのです。専門学校の出身者にも様々な勉強の機会が与えられ重役に昇進する人も珍しくありません。

このシステムの中で語学の重要性に気づかされたのは、数年前に出た、『チューリッヒ工科大学(ETH)が全国の高校に対し、もっと母国語を磨いて欲しい、という要望書を出した、』という新聞記事に接した時でした。ETHはアインシュタインを輩出した事でも知られる世界の名門校ですが、数学ではなく国語というのに興味を持ち,知り合いの高校の校長に聞いた所、国語力の低下には本当に困っている、と話してくれました。スイスでは独特の方言が有るのですが、それを書き取る事は大変に難しく、きちんとしたドイツ語を習得する事に成らないため、文部省から、正確な標準語を用いて授業するよう指示がでたそうです。法的には標準語を用いる事に成っているものの、方言を愛する教師も多く,必ずしも守られていないそうです。又,ETHの情報工学の教授に聞いた所、仕事は総てコンピューターを使って出来る。しかし、いつも苦労するのは論文を書く時なんだ、どう書いていいか本当に解らない事が有る。語学力の不足を痛感する。と話してくれました。

追補

>職業学校、専門学校

両方とも同じものを考えていましたが、異なった表記をしてしまいました。システムとしては、週三日仕事に就き,二日学校に通って,一般教養や専門科目の授業を受けます。職業高校というシステムも有り,其の場合週二日仕事、三日学校という割り振りになります。これを修了すると、専門の単科大学に進学出来ます。一般的に企業からは、ここの卒業生が大卒以上に歓迎されています。すぐに実践に使えるからです。

>そうした高校、大学での落ちこぼれは、資格社会のスイスに於いて職業に就く事が出来なくなってしまう恐れすら有ります。

高校を中退した場合,中卒と一緒に職業学校に入りなおします。大学の場合, 他の専攻をやりなおす場合が多いのですが、さっぱり修了出来ないまま、様々な科目を渡り歩き三十歳を超えてしまう人もいます。何らかの資格を得ようとすると,職業学校に入り直す羽目となりますが、アビトゥーアを評価されるので,修了期間が短くなり,又職種を選ぶ上でも有利です。何の資格をも持たないまま就職する人もいます。

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提供いただきましたmasi様に、改めて御礼申し上げます。

Commented by flight009 at 2006-04-15 10:06
masi 様

毎度どうも。

うーん、今の日本とは対照的といってもよさそうですね。
ただ、「国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ、それはそれで、と、思ってしまいます。

私の通っていた高校も、当時としては珍しい、「能力別クラス編成」でした。(ただ、私もこの呼び方はなんだか嫌いだし、「学力別クラス編成」といったほうが、誤解が少なくていいと思っていますけど。)

あんまり細かく言うと学校がばれますが、3年間変わらないホームルームのほか、数学と理科は「数系クラス」、国語と英語は「英系クラス」で、定期考査ごとに再分類されました。
ですので、自分のように数系は中の上、国語は下の下、というものでも、教科ごとに適切な授業を受けられたわけで、いっしょくたに分類されたらかなりつらいものがあったろうな、とは思います。国語の授業ではついていけず、数学の能力は伸ばしてもらえない、という感じになるでしょうから。

国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで、難しいところかもしれませんね。

Commented by masi at 2006-04-16 18:47
flight009様

>国語が出来ないとほかが出来てもだめ」というようなニュアンスも感じ

>国語は重視すべきものだとは思うのですが、それを絶対視してもいけないとは思うわけで

意識的に国語重視を書いたのでそのように読まれたのだと思います。確かにそのような面も有りますが、藤原先生の

>国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、

というご意見に一致していると思います。日本語、英語を自由に操る数学者がこの意見を述べられている所に重みを感じます。最終的には総合的な能力が問われていて、思考は言葉で行い,算数は論理的な組み立てに寄与する、という位置づけです。この両者の組み合わせが重要であり,さもないと,算数が単なる数の遊びになってしまいます。受験の為には有効かもしれませんが。日本の国立大学工学部の教授を定年退官された方が見えたとき、いわゆる受験校からの学生は研究の役に立たない、と仰っていたのは,その辺りの事情でないかと思います。
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by flight009 | 2007-03-25 09:36 | 教育について思うこと

高校球児はみんな野球選手になる?

数学オリンピックの参加者が、思ったよりも数学に関する仕事についていないそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース 
文部科学省科学技術政策研究所は20日、過去に国際数学オリンピックの国内予選で好成績を収めた参加者の調査で、社会人の約38%が「数学の知識を生かす職業に就いていない」と回答したと発表した。

ここで、数学を、野球に置き換えてみましょう。
高校野球で好成績(全国大会出場クラス?)をおさめた生徒のどのくらいが、現在野球に関する職業についているでしょうか。
きちっとした統計は私も知りませんが、調査してみれば、半数ぐらいがまったく「関係の無い」職業についているとしても、あんまり驚きはしないのではないでしょうか。

もっと極論してみましょう。
高校野球で好成績を収めた生徒が、野球とはまったく関係の無い職業に就いていたとして、それを嘆く必要があるでしょうか。そのような場合、彼の「高校野球経験」は、まったく意味の無いものとなるのでしょうか。

もちろん、そんなはずはありません。事細かに申すのもバカらしいので申しませんが、高校野球というものを通して彼が学んだものは、おそらくはどんな社会に行っても役に立つものであるだろうし、その社会(会社や団体)にとっても、おそらく有益なものとなるでしょう。
もちろん、「野球界」という、部分的な「社会」にとっては、その人が抜けてしまうことが「損失」であるかもしれません。松井選手や新庄選手が、野球界に来なかったのであれば、たしかに損失といえるでしょう。ですが、高校球児の半数くらいが「野球界」にとどまらなかったからといって、それをもって、まるで全世界の損失だ、というようなことを言うのであれば、それはどうかしています。

数学だって同じこと。
数学的な「センス」というものは、どのような世界に行っても役に立つものだし、要はその生かし方次第です。むしろ、38%という数字はかなり少ない印象なんですけどね。

今回の「統計」を、どう「利用」するつもりかはわかりませんが、これくらいの「アナロジー」ができなければ、それこそ、数学オリンピック参加者に笑われますよ。
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by flight009 | 2006-10-21 13:26 | 教育について思うこと

「いい先生」

先生が、生徒をいじめていたそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース
 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが15日、男子生徒宅を訪れ、両親と面会した。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭を務めた学年主任(現在)がいじめ発言を繰り返し、それが発端となって他の生徒にまでいじめ行動が広がったことを認めた。

この先生は、生徒にはどう思われていたんでしょうか。たぶん、とっても人気のある先生だったんじゃないかと思います。どうしてかというと、私が小学校の頃、そんな先生がいたから。

私の当時の担任Hは、しょっちゅう私のことを馬鹿にしていました。「ぴょんぴょん丸」「おつむのネジがばっちり緩んでる」とか、そんなことを、授業中も構わずしょっちゅう言われてました。当然、同級生は私をいじめないわけありません。Hは、そんな状況を見て、「お前が悪いからだ。普通じゃないからだ。」というばかりでした。
そんなHは、児童にはとても人気のある教師でした。なんでかといえば、よく言えば友達感覚の先生だったからでしょう。そういえば聞こえはいいですが、要するに、生徒と同レベルに降りていた、ということです。
生徒と一緒に悪ふざけをしたり、まずいことがあると堂々と嘘をついてばっくれる。じぶんがまさしく「でもしか教師」であったことを、面白おかしくしゃべる。父母から文句が来ると、いとも簡単に前言を翻す。でも、児童からは面白いから人気があるわけで、「良い先生」で通っていたわけです。

私が、この少年と同じ運命をたどっていた可能性は小さくありません。いくつかの偶然が、子供心にうかぶ短絡的な考えを、押しとどめてくれていただけのことです。逆の偶然が一つ二つあれば、私は多分ここにはいないのです。


こういう事例は、本当は今までも結構あったのではないでしょうか。表に出てこなかっただけで、「子供と同じレベルの教師」が、何人もの子供を殺していたのではないでしょうか。

P.S.他人事と思えないから、ちょっと消化不良ですが記事を書きました。
後で読み返して修正するかもしれません。その節には御容赦ください。
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by flight009 | 2006-10-15 22:43 | 教育について思うこと

あたりまえだぁべらぼうめぃ

Excite エキサイト : 政治ニュース
 02年度から小中学校で導入された現行学習指導要領に基づき、福岡市内の小学校のほぼ半数に当たる69校で、6年生の社会科の通知表に「愛国心」を3段階で評価する項目が設けられた。市民団体が反発し、03年度はいずれも削除された経緯がある。

 志位和夫氏(共産)がこの通知表のコピーを示し、評価の是非をただすと、小泉純一郎首相は「評価するのは難しい。あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないか」と答弁。保坂展人氏(社民)の質問にも、小泉首相は通知表の例を挙げ、「小学生に対して愛国心があるかどうか、そんな評価は必要ない」と述べ、評価は不要との認識を示した。


例によってですが、藤原正彦氏の著作で「父の威厳・数学者の意地」という本があります。

この本の最後の章に、たいへん興味深い話がありました。藤原氏の息子が、修学旅行に行く前に検便をするように求められ、「そんなことをする必要があるか」と、藤原氏が拒否したことから始まった、大騒動の顛末を描いたものです。

検便を拒否した藤原家側に対して、学校は提出しなければ修学旅行に連れて行かないといい、「子供を人質のごとく考える親がいけない」という藤原氏に、「人質のごとくではなく、人質そのものなのよ」と応じる奥さん、夫婦の危機もはらみながら、怒涛のごとくの展開に、恥ずかしながら手に汗を握っておりました。

で、その中で問題になったのが東京都の当局が出した通達だったのですが、検便を実施することを「望ましい」とした、かなり昔の通達でした。
話の中で、東京都の当局は「決して検便を義務付けるものではない」といっているのにもかかわらず、「決めたことだ」といいはって、それを根拠として医学的にも必要性が認めづらい検便を「強要」する学校側、そんな姿をこの記事を読んで思い返しました。

あたりまえのことなんですが、「国を愛する心」を「評価」することなんてできるわけがありません。それは、「愛する」ということを、第三者が評価できるかという簡単な命題です。「できる」という人がいたら、私はそいつはどうかしているとしか思いません。通知表にそんな項目を付け足す輩があれば、そいつにはそういう評価をするだけです。

でも、愛を「教える」ということはできると思います。もちろん、愛するということはこうするんだよ、と、そんな風に教えるバカは本当のバカです。ですけれど、愛するということを教えることはできます。それは、国だけではなく、家族であり、友人であり、同郷人であり、そして、隣人であり、隣国であり、犬猫であり、学問であり、詩であり、歌でもあり、なんであれ、です。だから、教えるべきです。

教えることと評価することとが、一体不可分なものだとどうして彼らは考えたのでしょう。それは、国会という場にこんな事例を持ち出してきた志井氏や保坂氏についても同じことです。教えるべきことと、評価すべきこととはちゃんと分けて考えろ。徒競走のタイムは計らず、そんなことを評価しようとする今の教育は本当にどうかしている。そんだけのことです。
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by flight009 | 2006-05-25 23:39 | 教育について思うこと

藤原正彦氏、ラジオで語る

小学校での英語教育が義務化される方向であるということです。Excite エキサイト : 社会ニュース
 中央教育審議会の外国語専門部会は27日、小学校で英語の必修化を求めた報告をまとめた。アジア各国で小学校段階の必修化が相次ぐ中、英語コミュニケーション能力の育成が不可欠として高学年(5~6年)で平均週1回(年間35単位時間)の英語教育を行うよう提言した。実施時期や授業時間数などは今後、中教審教育課程部会が検討し、早ければ06年度にも行われる学習指導要領改訂で盛り込まれ、08年度にも実施の見通し。

私は先にも申し上げているように、英語教育を拙速に前倒しすることには反対です。ですが、リンク先の記事でもそうですが、ほとんどのマスコミの論調は、特に批判を加えていません。それはそうだろうと思うのが、いわゆる世論。実のところ、世論は圧倒的にこれを歓迎しているのです。それに異論を唱える度胸のあるマスコミなど、いるはずも無いだろうと、自分も半ばあきらめていたのですが.....

そんな中、本日(2006/3/28)、NHKラジオ第一放送のニュースに「あの」藤原正彦氏が電話インタビューで登場しました。

藤原正彦氏というのは、「国家の品格」という本を書いた数学者であり、日本人は「武士道精神」を取り戻すべきであるということを主張されている方です。
御存知の方は御存知と思いますが、この本をはじめ、同氏は英語教育の前倒しについては明確に反対意見を主張している論客の一人ですが、帰宅中の車中で聞いた、冒頭の「たっぷりと語っていただきます」というニュースデスクの言葉につれられて、帰宅するなり嫁を押しのけてラジオの前にかじりついて待つこと5分、ニュースは、大臣の会見から始まりました。
大臣は、「英語コンプレックスを無くすことがこれからの日本人にとって必須である」ということを主張します。それを受けての渋谷NHKスタジオパークでの街頭インタビュー、ほとんどの人が英語教育の早期化について賛成だと答えます。
しかしながら、と、ニュースデスクは切り出し、そんな動きに「待った」をかける人たちがいます、として、ベストセラー「国家の品格」の著者、藤原氏を紹介します。

藤原氏の主張の要点は、おおよそ以下のようなものであったと記憶しております。
(録音しようと思ったのですがテープが間に合わず、雄叫びを上げる1歳の娘をだましながら聞いたので、細かい間違いは御容赦を。)

追記:masi様とおっしゃる方から、内容について御指摘がありました。後のコメントを御参照ください。(2006.4.9)

○英語教育を前だおすこと、世論がそれに肯定的なことは大変に困ったことだ。
○小学校で週に100時間教育が出来るなら何でも好きなことを教えればいい。だが、実際には限られた時間しかない。その中で何を教えなければいけないかを考えねばならない。
○日本人の国語の能力は明らかに低下している。国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、パソコンや英語など百番以下だ。昔の人は「1.読み2.書き3.そろばん」と、教育の本質を見事言い当てていた。
○英語はコミュニケーションの手段に過ぎない。大事なのはそのコミュニケーションの中で何を伝えるかだ。
○英語は本来「難しい」のである。現実に、何十時間とかけて勉強したって、身につかない人は多いのだ。数時間、小学校で教えたところで話せるようになると思ったら大間違い。そのうち幼稚園でも教えるとか言い出すのが関の山。
○だから、小学校で英語のために時間を割くよりもその分国語に力を入れるべき。
○英語などそもそも全国民がしゃべれる必要も無い。生涯に数回海外に行くか行かないかの人が、膨大な時間をかけて勉強したところでなんになる。その時間に古典や名作でも読んだほうがずっと有用だ。
○だいたい、本当に英語を使えるようになるには、中学校の英語の時間を倍にでもしなければ使えるようにならない。使えるようにするなら、選択制で英語を徹底的にやることだ。
○真の国際人であるには、英語力は関係ない。ただし、ここで言う国際人とは、海外で外国人の尊敬を受けることの出来る人、という意味だ。英語を話せても話す事に内容が無いという人、そういう人が一番世界では軽蔑されるのだ

「国家の品格」を読んだ人なら、だいたい書いてあったことと違わないことはわかると思います。私はもちろん藤原先生に賛成。

ただ、なるほどなぁ、と思ったのは、「英語は難しい」と、言い切ったことです。

日本人がなぜ英語を話せるようにならないのか、ということでは、これまで、「小さいころから勉強していないからだ」ということで片付けられていたと思います。それが、英語教育の前倒しの根幹でもあるでしょう。でも、よく考えてみると本当にそうなのでしょうか。英語を話せる人たちの、どの程度が幼少からの英語教育を受けていたのか。案外、客観的なデータは無いのかもしれません。その意味で、「英語は難しいからだ」というのは、それ以上に明快です。
(補足すると、「国家の品格」の中で、藤原氏は、英語と日本語は言語構造が最も異なる、だから日本人にとっては英語が難しい、と、説明しています。)われわれも、いろいろと考え直すべき時期なのでしょう。

私は、藤原氏の主張は、「国語がおろそかになっている」ことに対する危機感からのことと理解しています。国語力が国民に十分に身についていつのであれば、それが低下する心配が無いのであれば、英語を幼少から教えることも大変結構なことでしょう。ですが、実際には今、日本人の国語力は大変に低下しています。そんな時間があれば国語をしっかり教えろ。そういう氏の主張には、自分も諸手を挙げて賛成します。

思い起こしてみると、実は自分も国語の成績は極端にダメでした。でも、苦手だったのは漢字の書き取りや文法など。作文もあまり得意ではありませんでしたが、読解問題だけはそれなりにできました。古典も好きだったし、本もよく読みました。わりと濫読でしたね。もっとも、そんな自分を小学校の先生は「おかしい」と評していましたが。

氏の言葉は、実は英語教育に関するものではありません。国語、あえていうなら初等教育の根幹にかかわるものであるのでしょう。そんなことを思いながら、妻の白い目から逃げるようにラジオのスイッチを切った私でした。
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by flight009 | 2006-03-28 23:50 | 教育について思うこと

「妊娠初期にも」?

Excite エキサイト : 社会ニュース 「妊娠初期も席を譲って」 厚労省マタニティーマーク
 「おなかの目立たない妊婦さんにも席を譲って」-厚生労働省は10日、外見からは妊婦と分かりにくい女性に、周囲が気付いて配慮しやすいようにするためのマタニティーマークを発表した。ポスターやバッジなどを想定、同省は交通機関や職場、飲食店、自治体や民間非営利団体(NPO)などに利用を呼び掛ける。


知っている人は知っていると思いますが、この手のマークとしてはベネッセ発行の「たまごクラブ」の別冊、「初めてのたまごクラブ」(通称「初たま」)の特別付録で「初たまストラップ」というものがあります。まさしく、今回のマークのようなものでしょう。民間のほうが官公庁よりも先んじていたというか、官公庁が後からまねをしたのかもしれませんが、それはそれとして、共通のマークを作るというのは悪いことでは無いでしょう。実際、このストラップの存在は若いママさんたちの間では知らぬものは無いようですが、男性や中高年、中高生などではどれほど知っているだろうかとは思います。新しいマークのほうでしっかり広報活動を行って周知徹底を図れば、有用なものだと思います。

実際、妊娠初期というのは流産の可能性が高いので、妊婦さんは転倒や人とぶつかることに非常に神経質になります。もちろん、不要な外出などもってのほか。自動車や列車、バスの利用は最小限にするわけですが、それでも、検診やらなにやらで公共交通機関の利用はやむをえない場合もあります。つわりでつらいなどの問題もあるのですが、それ以上に電車の中で立っているのは精神的にもつらいわけで、ぜひ、「プレママ」さんにはいたわりの心を皆様にもお願い申し上げたく。

ですが、それ以前の問題があります。

現在私の娘は1歳と3ヶ月、つまり、1年半程前には、妻は誰が見たってわかる押しも押されもせぬ妊婦さんだったのですが、それでも席を譲ってくれることは少なかったといってよいでしょう。妊娠中は自動車は使いづらい(マタニティシートベルトというものはあるが、妻が言うには「おなかの子供が苦情を言う」そうだ)ので、自分も妻と2人で電車に乗ることは多かったのですが、席を譲ってもらえるのは2回に1回もなかったと思います。それも、優先席に限ってで、優先席にすわってくっちゃべっている若いおねーちゃんたちに「じとー」と、冷たい視線を投げかけて譲ってもらえた場合も含めてです。
このような現状で、そのようなマークが制定されたところで、効果は限定的でしょう。「妊娠初期にも」というより、お年寄りや身体障害者、妊婦さんや乳幼児をつれた子供には、ちゃんと席を譲ってください、ということ、なんとかしてもらえないものでしょうか。

このマークの制定が、そういった社会マナーについて見直すきっかけになってくれればと思います。
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by flight009 | 2006-03-11 09:36 | 教育について思うこと

できれば、駒大の生徒に聞いて欲しい

Excite エキサイト : 社会ニュース

駒大苫小牧高校の、3年生の飲酒喫煙による出場辞退、賛否両論あるようですが、自分は出場辞退もやむなしと考えます。

ひとつは、「連帯責任」というけれど、これは社会ではあたりまえのことだからです。

たとえば、JR西日本の福知山線の列車事故。事故を起こした車両に乗り合わせた社員の行動や、予定されていた宴会やレクリエーション大会を中止しなかった同社には、世間から大変な非難が寄せられました。その中には、事故とは直接の関係のない職場での行事も含まれているのですが、それでも、同じ会社の起こした事故だということでこのような対応が求められるのは、社会では「あたりまえ」なのです。
NHKだって、自衛隊だって、社会保険庁やその他多くの官公庁、一部の職員がした不祥事だって、その「集団」としての責任はどうしても免れません。時には、元職員ですらそのように扱われます。それが正しいとは必ずしもいえませんが、そういうものなのです。「一部の職員のしたこと」と、弁護してもらえるのは、マスコミに強い警察くらいのもんでしょう。
普通のサラリーマンだってそうです。お客さんと接する社員は、その会社の代表なわけで、その人がしたことはその会社のしたことと思われるし、その社員の振る舞いを見て、お客さんはその会社を判断します。一部の社員の行動が、会社をつぶすことだってあります。程度はありますが、どうしたって、集団に身を置いて行動すれば、その集団の一員として、連帯して責任を負う事は当然なのです。
たとえば、貴方が外国にいったとします。貴方のしたことは、外国の人から見れば「日本人」のしたことです。貴方が悪いことをすれば、他の日本人にも迷惑がかかるのですが、それはあたりまえのこと。そもそも連帯責任とはそういうことでしょう。

次に、本当に現役部員は無関係といえるでしょうか。

特に、「センバツ」というのは、過去の実績がものを言う大会です。そして、高校野球というのは先輩が後輩を指導して、その結果が問われるものでもあります。強豪校というものがあることが示すように、その伝統や歴史が、その強さにも結びつくものです。
今回の出場において、本当に3年生が「関係ない」、すなわち、今の1,2年生「だけ」ががんばって、もぎ取った出場であったのであれば、たしかに「かわいそう」ともいえましょう。ですが、必ずしもそうとは言い切れないと思います。
ピラミッドのように積みあがったブロックは、下のほうであっても崩れてしまえば、すべてが崩れてしまいます。3年生の功績あっての出場であれば、辞退は止むを得ないことです。

最後に、今回の件だけ、でもないということです。

知ってのとおり、同校では以前、体罰事件ということがあり、それで出場取り消しの瀬戸際まで言ったことがあります。ですが、このときには生徒の問題ではない、ということで、辛くも処分は免れました。今回の事件だけなら、まだ何か酌量の余地はあるかも知れませんが、いわば執行猶予中に起きた事件です。実際、今回の校長の会見によると、前の事件のときにそのような趣旨の説明が、高野連からあったといいます。
そして、これは推測も入りますが、飲酒や喫煙を、これまで後輩たちも気づいていなかったのでしょうか。今回補導された生徒たちが、卒業式が終わったから、初めて酒やタバコに手を出した、とは誰も思っていないでしょう。今までそういった事実があって、それを見てみぬふりをしていたのであれば、「連帯」ではない責任もあります。
いずれにせよ、今回の事件は「一部の生徒」というには人数も多いし、看過できるようなレベルでもないし、部として無関係ともいえないでしょう。

以上のようなことを考えると、今回の結果はやむなきことといえます。

読んでいないでしょうけれど、駒大苫小牧高校野球部の現役部員に申し上げたい。今回のことはまことに不条理なことです。ですが、辞退しないことよりは正しいことなのです。
社会に出ると、こういう不条理とも思える事態に遭遇することは珍しいことではありません。そんなとき、今回のことを思い出してください。そして、乗り越えてください。

艱難辛苦汝を珠にす、あなたがたが、日本の未来を背負う珠となることを願って。
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by flight009 | 2006-03-04 18:22 | 教育について思うこと

ほんとはいろいろ言いたいけれど

Excite エキサイト : 社会ニュース 
卒業式シーズンを前に、東京都立高31校に通う生徒の保護者らが23日、東京都教育委員会に「日の丸・君が代を強制せず、内心の自由を保障した式にしてほしい」とする要請書を提出した。


ほんと、この問題については言いたいことはいろいろある。出来たらまた連載にでもしたいくらい。でも、まだ前の「連載」も終えていないし、問題が問題だけに、たぶん収拾がつかなくなるでしょうね。

ですから、あえて次の2つだけにして、読者の皆さんに「なぞかけ」をしてみたいと思います。

「日の丸、君が代は、掲揚および斉唱すべき」
「生徒に対して、日の丸や君が代を『拒否するように指導する教師は』処分すべき」

私の意見は以上です。

ただ、ヒントの意味を込めて、以前も申したように思いますが、今一度、この点を申しておきましょう。

個人がなんと思おうと、その人が日本人である限り、「日の丸」と「君が代」からは、逃げようがありません。なぜなら、「日の丸」も「君が代」も、「日本」の国旗であり国歌であると、世界中の人が知っているし、思っているのですから。
整形手術で顔を変えたって、その人はあくまでその人であるように、日の丸や君が代を拒否したところでそれがなんになるというのでしょう。
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by flight009 | 2006-02-25 00:04 | 教育について思うこと

金の卵をつぶさないために

Excite エキサイト : スポーツニュース
フィギュア関係者が「トリノに出ればメダル確実」と口をそろえ、ISUのチンクアンタ会長でさえ「個人的には浅田を五輪で見たい」と話したが、「規則は規則だ」と特例を認めない方針を貫き通した。

本件、「特例を求めるべき」という意見が大勢を占めているようですが、自分は反対です。

本日のNHKラジオ第一放送の、10時のニュースで、インタビューを受けた専門家(名前は失念してしまいました。宇佐美さん..だったかな?)が、興味深いことを言っていました。要旨はこんな感じでした。
「医学的見地」とはいわれるが、オリンピックに出場するということは、本人の生活が一変するということだ。過去、15歳、16歳の選手が出場したことがあるが、生活が一変した結果、身を持ち崩してしまい、一時期選手として活動できなくなってしまったという例もある。復帰した例もあるが、選手としては完全にリタイアしてしまった人もいる。年齢制限を設けるのには、そういった配慮もあるのではないか。
私はこれを聞いて、なるほどと得心が行きました。たしかに、目前に迫ったオリンピックに、たった数ヶ月の違いで出られないということは、実に実に口惜しいことです。彼女が数ヶ月早く生まれていれば、とだれもが思うでしょう。
ですが、ほんの数ヶ月遅く生まれていたことのほうが、もしかしたら彼女自身も含めて、本当は幸運だったのかもしれません。今の時代、なんでもスピードで、目先のことにばかり注意が行きがちです。ですが、結果的にはそれがよいことなのか悪いことなのか、それは神のみぞ知ることでもあります。むしろ、規則を捻じ曲げてまで彼女を出場させることが彼女自身のためになるのかどうか、それは大いに疑問でもあります。

件のラジオ番組ではその後、「こういっては失礼かもしれないが」とした上で、インタビューアは、彼女は今が旬なのもしれない(という声もある)が、どう思うか、と、問いかけます。
これについて、専門家の彼女は「そう思いますか?」と、笑いとばした後、こんな内容で続けました。
彼女の強みは、プレッシャーや逆境を前向きに変えることができる明るさにある。私は4年後、もっともっと成長すると信じている
と。

4年後、彼女が今のような輝きを失うのか、さらに輝きを増すのか、それは確かにわかりません。ですが、私も彼女を信じ、ここは4年待ちたいと思います。

異論はありましょうが、金の卵をつぶす行為は、規則を変えてまで彼女を出場させることのほうではないか、そう思います。

P.S.ラジオで聞いた内容は、私の記憶に頼っております。聞き違い、思い違い等がありましたらお詫びいたします。お気づきの点があればお知らせください。

P.S.2.コメントをいただいて、誤解を生じないように一部改めました。よろしくお願いします。
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by flight009 | 2005-12-19 23:43 | 教育について思うこと