<   2006年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

藤原正彦氏、ラジオで語る

小学校での英語教育が義務化される方向であるということです。Excite エキサイト : 社会ニュース
 中央教育審議会の外国語専門部会は27日、小学校で英語の必修化を求めた報告をまとめた。アジア各国で小学校段階の必修化が相次ぐ中、英語コミュニケーション能力の育成が不可欠として高学年(5~6年)で平均週1回(年間35単位時間)の英語教育を行うよう提言した。実施時期や授業時間数などは今後、中教審教育課程部会が検討し、早ければ06年度にも行われる学習指導要領改訂で盛り込まれ、08年度にも実施の見通し。

私は先にも申し上げているように、英語教育を拙速に前倒しすることには反対です。ですが、リンク先の記事でもそうですが、ほとんどのマスコミの論調は、特に批判を加えていません。それはそうだろうと思うのが、いわゆる世論。実のところ、世論は圧倒的にこれを歓迎しているのです。それに異論を唱える度胸のあるマスコミなど、いるはずも無いだろうと、自分も半ばあきらめていたのですが.....

そんな中、本日(2006/3/28)、NHKラジオ第一放送のニュースに「あの」藤原正彦氏が電話インタビューで登場しました。

藤原正彦氏というのは、「国家の品格」という本を書いた数学者であり、日本人は「武士道精神」を取り戻すべきであるということを主張されている方です。
御存知の方は御存知と思いますが、この本をはじめ、同氏は英語教育の前倒しについては明確に反対意見を主張している論客の一人ですが、帰宅中の車中で聞いた、冒頭の「たっぷりと語っていただきます」というニュースデスクの言葉につれられて、帰宅するなり嫁を押しのけてラジオの前にかじりついて待つこと5分、ニュースは、大臣の会見から始まりました。
大臣は、「英語コンプレックスを無くすことがこれからの日本人にとって必須である」ということを主張します。それを受けての渋谷NHKスタジオパークでの街頭インタビュー、ほとんどの人が英語教育の早期化について賛成だと答えます。
しかしながら、と、ニュースデスクは切り出し、そんな動きに「待った」をかける人たちがいます、として、ベストセラー「国家の品格」の著者、藤原氏を紹介します。

藤原氏の主張の要点は、おおよそ以下のようなものであったと記憶しております。
(録音しようと思ったのですがテープが間に合わず、雄叫びを上げる1歳の娘をだましながら聞いたので、細かい間違いは御容赦を。)

追記:masi様とおっしゃる方から、内容について御指摘がありました。後のコメントを御参照ください。(2006.4.9)

○英語教育を前だおすこと、世論がそれに肯定的なことは大変に困ったことだ。
○小学校で週に100時間教育が出来るなら何でも好きなことを教えればいい。だが、実際には限られた時間しかない。その中で何を教えなければいけないかを考えねばならない。
○日本人の国語の能力は明らかに低下している。国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、パソコンや英語など百番以下だ。昔の人は「1.読み2.書き3.そろばん」と、教育の本質を見事言い当てていた。
○英語はコミュニケーションの手段に過ぎない。大事なのはそのコミュニケーションの中で何を伝えるかだ。
○英語は本来「難しい」のである。現実に、何十時間とかけて勉強したって、身につかない人は多いのだ。数時間、小学校で教えたところで話せるようになると思ったら大間違い。そのうち幼稚園でも教えるとか言い出すのが関の山。
○だから、小学校で英語のために時間を割くよりもその分国語に力を入れるべき。
○英語などそもそも全国民がしゃべれる必要も無い。生涯に数回海外に行くか行かないかの人が、膨大な時間をかけて勉強したところでなんになる。その時間に古典や名作でも読んだほうがずっと有用だ。
○だいたい、本当に英語を使えるようになるには、中学校の英語の時間を倍にでもしなければ使えるようにならない。使えるようにするなら、選択制で英語を徹底的にやることだ。
○真の国際人であるには、英語力は関係ない。ただし、ここで言う国際人とは、海外で外国人の尊敬を受けることの出来る人、という意味だ。英語を話せても話す事に内容が無いという人、そういう人が一番世界では軽蔑されるのだ

「国家の品格」を読んだ人なら、だいたい書いてあったことと違わないことはわかると思います。私はもちろん藤原先生に賛成。

ただ、なるほどなぁ、と思ったのは、「英語は難しい」と、言い切ったことです。

日本人がなぜ英語を話せるようにならないのか、ということでは、これまで、「小さいころから勉強していないからだ」ということで片付けられていたと思います。それが、英語教育の前倒しの根幹でもあるでしょう。でも、よく考えてみると本当にそうなのでしょうか。英語を話せる人たちの、どの程度が幼少からの英語教育を受けていたのか。案外、客観的なデータは無いのかもしれません。その意味で、「英語は難しいからだ」というのは、それ以上に明快です。
(補足すると、「国家の品格」の中で、藤原氏は、英語と日本語は言語構造が最も異なる、だから日本人にとっては英語が難しい、と、説明しています。)われわれも、いろいろと考え直すべき時期なのでしょう。

私は、藤原氏の主張は、「国語がおろそかになっている」ことに対する危機感からのことと理解しています。国語力が国民に十分に身についていつのであれば、それが低下する心配が無いのであれば、英語を幼少から教えることも大変結構なことでしょう。ですが、実際には今、日本人の国語力は大変に低下しています。そんな時間があれば国語をしっかり教えろ。そういう氏の主張には、自分も諸手を挙げて賛成します。

思い起こしてみると、実は自分も国語の成績は極端にダメでした。でも、苦手だったのは漢字の書き取りや文法など。作文もあまり得意ではありませんでしたが、読解問題だけはそれなりにできました。古典も好きだったし、本もよく読みました。わりと濫読でしたね。もっとも、そんな自分を小学校の先生は「おかしい」と評していましたが。

氏の言葉は、実は英語教育に関するものではありません。国語、あえていうなら初等教育の根幹にかかわるものであるのでしょう。そんなことを思いながら、妻の白い目から逃げるようにラジオのスイッチを切った私でした。
[PR]
by flight009 | 2006-03-28 23:50 | 教育について思うこと

「妊娠初期にも」?

Excite エキサイト : 社会ニュース 「妊娠初期も席を譲って」 厚労省マタニティーマーク
 「おなかの目立たない妊婦さんにも席を譲って」-厚生労働省は10日、外見からは妊婦と分かりにくい女性に、周囲が気付いて配慮しやすいようにするためのマタニティーマークを発表した。ポスターやバッジなどを想定、同省は交通機関や職場、飲食店、自治体や民間非営利団体(NPO)などに利用を呼び掛ける。


知っている人は知っていると思いますが、この手のマークとしてはベネッセ発行の「たまごクラブ」の別冊、「初めてのたまごクラブ」(通称「初たま」)の特別付録で「初たまストラップ」というものがあります。まさしく、今回のマークのようなものでしょう。民間のほうが官公庁よりも先んじていたというか、官公庁が後からまねをしたのかもしれませんが、それはそれとして、共通のマークを作るというのは悪いことでは無いでしょう。実際、このストラップの存在は若いママさんたちの間では知らぬものは無いようですが、男性や中高年、中高生などではどれほど知っているだろうかとは思います。新しいマークのほうでしっかり広報活動を行って周知徹底を図れば、有用なものだと思います。

実際、妊娠初期というのは流産の可能性が高いので、妊婦さんは転倒や人とぶつかることに非常に神経質になります。もちろん、不要な外出などもってのほか。自動車や列車、バスの利用は最小限にするわけですが、それでも、検診やらなにやらで公共交通機関の利用はやむをえない場合もあります。つわりでつらいなどの問題もあるのですが、それ以上に電車の中で立っているのは精神的にもつらいわけで、ぜひ、「プレママ」さんにはいたわりの心を皆様にもお願い申し上げたく。

ですが、それ以前の問題があります。

現在私の娘は1歳と3ヶ月、つまり、1年半程前には、妻は誰が見たってわかる押しも押されもせぬ妊婦さんだったのですが、それでも席を譲ってくれることは少なかったといってよいでしょう。妊娠中は自動車は使いづらい(マタニティシートベルトというものはあるが、妻が言うには「おなかの子供が苦情を言う」そうだ)ので、自分も妻と2人で電車に乗ることは多かったのですが、席を譲ってもらえるのは2回に1回もなかったと思います。それも、優先席に限ってで、優先席にすわってくっちゃべっている若いおねーちゃんたちに「じとー」と、冷たい視線を投げかけて譲ってもらえた場合も含めてです。
このような現状で、そのようなマークが制定されたところで、効果は限定的でしょう。「妊娠初期にも」というより、お年寄りや身体障害者、妊婦さんや乳幼児をつれた子供には、ちゃんと席を譲ってください、ということ、なんとかしてもらえないものでしょうか。

このマークの制定が、そういった社会マナーについて見直すきっかけになってくれればと思います。
[PR]
by flight009 | 2006-03-11 09:36 | 教育について思うこと

できれば、駒大の生徒に聞いて欲しい

Excite エキサイト : 社会ニュース

駒大苫小牧高校の、3年生の飲酒喫煙による出場辞退、賛否両論あるようですが、自分は出場辞退もやむなしと考えます。

ひとつは、「連帯責任」というけれど、これは社会ではあたりまえのことだからです。

たとえば、JR西日本の福知山線の列車事故。事故を起こした車両に乗り合わせた社員の行動や、予定されていた宴会やレクリエーション大会を中止しなかった同社には、世間から大変な非難が寄せられました。その中には、事故とは直接の関係のない職場での行事も含まれているのですが、それでも、同じ会社の起こした事故だということでこのような対応が求められるのは、社会では「あたりまえ」なのです。
NHKだって、自衛隊だって、社会保険庁やその他多くの官公庁、一部の職員がした不祥事だって、その「集団」としての責任はどうしても免れません。時には、元職員ですらそのように扱われます。それが正しいとは必ずしもいえませんが、そういうものなのです。「一部の職員のしたこと」と、弁護してもらえるのは、マスコミに強い警察くらいのもんでしょう。
普通のサラリーマンだってそうです。お客さんと接する社員は、その会社の代表なわけで、その人がしたことはその会社のしたことと思われるし、その社員の振る舞いを見て、お客さんはその会社を判断します。一部の社員の行動が、会社をつぶすことだってあります。程度はありますが、どうしたって、集団に身を置いて行動すれば、その集団の一員として、連帯して責任を負う事は当然なのです。
たとえば、貴方が外国にいったとします。貴方のしたことは、外国の人から見れば「日本人」のしたことです。貴方が悪いことをすれば、他の日本人にも迷惑がかかるのですが、それはあたりまえのこと。そもそも連帯責任とはそういうことでしょう。

次に、本当に現役部員は無関係といえるでしょうか。

特に、「センバツ」というのは、過去の実績がものを言う大会です。そして、高校野球というのは先輩が後輩を指導して、その結果が問われるものでもあります。強豪校というものがあることが示すように、その伝統や歴史が、その強さにも結びつくものです。
今回の出場において、本当に3年生が「関係ない」、すなわち、今の1,2年生「だけ」ががんばって、もぎ取った出場であったのであれば、たしかに「かわいそう」ともいえましょう。ですが、必ずしもそうとは言い切れないと思います。
ピラミッドのように積みあがったブロックは、下のほうであっても崩れてしまえば、すべてが崩れてしまいます。3年生の功績あっての出場であれば、辞退は止むを得ないことです。

最後に、今回の件だけ、でもないということです。

知ってのとおり、同校では以前、体罰事件ということがあり、それで出場取り消しの瀬戸際まで言ったことがあります。ですが、このときには生徒の問題ではない、ということで、辛くも処分は免れました。今回の事件だけなら、まだ何か酌量の余地はあるかも知れませんが、いわば執行猶予中に起きた事件です。実際、今回の校長の会見によると、前の事件のときにそのような趣旨の説明が、高野連からあったといいます。
そして、これは推測も入りますが、飲酒や喫煙を、これまで後輩たちも気づいていなかったのでしょうか。今回補導された生徒たちが、卒業式が終わったから、初めて酒やタバコに手を出した、とは誰も思っていないでしょう。今までそういった事実があって、それを見てみぬふりをしていたのであれば、「連帯」ではない責任もあります。
いずれにせよ、今回の事件は「一部の生徒」というには人数も多いし、看過できるようなレベルでもないし、部として無関係ともいえないでしょう。

以上のようなことを考えると、今回の結果はやむなきことといえます。

読んでいないでしょうけれど、駒大苫小牧高校野球部の現役部員に申し上げたい。今回のことはまことに不条理なことです。ですが、辞退しないことよりは正しいことなのです。
社会に出ると、こういう不条理とも思える事態に遭遇することは珍しいことではありません。そんなとき、今回のことを思い出してください。そして、乗り越えてください。

艱難辛苦汝を珠にす、あなたがたが、日本の未来を背負う珠となることを願って。
[PR]
by flight009 | 2006-03-04 18:22 | 教育について思うこと