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あたりまえだぁべらぼうめぃ

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 02年度から小中学校で導入された現行学習指導要領に基づき、福岡市内の小学校のほぼ半数に当たる69校で、6年生の社会科の通知表に「愛国心」を3段階で評価する項目が設けられた。市民団体が反発し、03年度はいずれも削除された経緯がある。

 志位和夫氏(共産)がこの通知表のコピーを示し、評価の是非をただすと、小泉純一郎首相は「評価するのは難しい。あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないか」と答弁。保坂展人氏(社民)の質問にも、小泉首相は通知表の例を挙げ、「小学生に対して愛国心があるかどうか、そんな評価は必要ない」と述べ、評価は不要との認識を示した。


例によってですが、藤原正彦氏の著作で「父の威厳・数学者の意地」という本があります。

この本の最後の章に、たいへん興味深い話がありました。藤原氏の息子が、修学旅行に行く前に検便をするように求められ、「そんなことをする必要があるか」と、藤原氏が拒否したことから始まった、大騒動の顛末を描いたものです。

検便を拒否した藤原家側に対して、学校は提出しなければ修学旅行に連れて行かないといい、「子供を人質のごとく考える親がいけない」という藤原氏に、「人質のごとくではなく、人質そのものなのよ」と応じる奥さん、夫婦の危機もはらみながら、怒涛のごとくの展開に、恥ずかしながら手に汗を握っておりました。

で、その中で問題になったのが東京都の当局が出した通達だったのですが、検便を実施することを「望ましい」とした、かなり昔の通達でした。
話の中で、東京都の当局は「決して検便を義務付けるものではない」といっているのにもかかわらず、「決めたことだ」といいはって、それを根拠として医学的にも必要性が認めづらい検便を「強要」する学校側、そんな姿をこの記事を読んで思い返しました。

あたりまえのことなんですが、「国を愛する心」を「評価」することなんてできるわけがありません。それは、「愛する」ということを、第三者が評価できるかという簡単な命題です。「できる」という人がいたら、私はそいつはどうかしているとしか思いません。通知表にそんな項目を付け足す輩があれば、そいつにはそういう評価をするだけです。

でも、愛を「教える」ということはできると思います。もちろん、愛するということはこうするんだよ、と、そんな風に教えるバカは本当のバカです。ですけれど、愛するということを教えることはできます。それは、国だけではなく、家族であり、友人であり、同郷人であり、そして、隣人であり、隣国であり、犬猫であり、学問であり、詩であり、歌でもあり、なんであれ、です。だから、教えるべきです。

教えることと評価することとが、一体不可分なものだとどうして彼らは考えたのでしょう。それは、国会という場にこんな事例を持ち出してきた志井氏や保坂氏についても同じことです。教えるべきことと、評価すべきこととはちゃんと分けて考えろ。徒競走のタイムは計らず、そんなことを評価しようとする今の教育は本当にどうかしている。そんだけのことです。
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by flight009 | 2006-05-25 23:39 | 教育について思うこと