「いい先生」

先生が、生徒をいじめていたそうな。
Excite エキサイト : 社会ニュース
 福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、合谷(ごうや)智校長、中原敏隆町教育長、学年主任らが15日、男子生徒宅を訪れ、両親と面会した。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭を務めた学年主任(現在)がいじめ発言を繰り返し、それが発端となって他の生徒にまでいじめ行動が広がったことを認めた。

この先生は、生徒にはどう思われていたんでしょうか。たぶん、とっても人気のある先生だったんじゃないかと思います。どうしてかというと、私が小学校の頃、そんな先生がいたから。

私の当時の担任Hは、しょっちゅう私のことを馬鹿にしていました。「ぴょんぴょん丸」「おつむのネジがばっちり緩んでる」とか、そんなことを、授業中も構わずしょっちゅう言われてました。当然、同級生は私をいじめないわけありません。Hは、そんな状況を見て、「お前が悪いからだ。普通じゃないからだ。」というばかりでした。
そんなHは、児童にはとても人気のある教師でした。なんでかといえば、よく言えば友達感覚の先生だったからでしょう。そういえば聞こえはいいですが、要するに、生徒と同レベルに降りていた、ということです。
生徒と一緒に悪ふざけをしたり、まずいことがあると堂々と嘘をついてばっくれる。じぶんがまさしく「でもしか教師」であったことを、面白おかしくしゃべる。父母から文句が来ると、いとも簡単に前言を翻す。でも、児童からは面白いから人気があるわけで、「良い先生」で通っていたわけです。

私が、この少年と同じ運命をたどっていた可能性は小さくありません。いくつかの偶然が、子供心にうかぶ短絡的な考えを、押しとどめてくれていただけのことです。逆の偶然が一つ二つあれば、私は多分ここにはいないのです。


こういう事例は、本当は今までも結構あったのではないでしょうか。表に出てこなかっただけで、「子供と同じレベルの教師」が、何人もの子供を殺していたのではないでしょうか。

P.S.他人事と思えないから、ちょっと消化不良ですが記事を書きました。
後で読み返して修正するかもしれません。その節には御容赦ください。
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# by flight009 | 2006-10-15 22:43 | 教育について思うこと

本当に反省しているのだろうか

16歳の少女が、資産家からお金をまき上げていたという
Excite エキサイト : 社会ニュース
 資産家の独居老人から、計97回にわたり現金約1430万円を脅し取ったなどとして警視庁少年事件課は29日、東京都町田市の無職の少女(16)や高校生3人を含む少年計6人を恐喝や詐欺容疑などで逮捕したと発表した。少女らは、脅し取った金を使って健康ランドで飲食したり、タクシーで山梨県の遊園地に繰り出して遊んでいた。「弱い者いじめをして反省している」などと供述、容疑を認めているという。【佐々木洋】

一言で言うのであれば、本当に反省しているんだろうか。

最近、この手の事件はよく見るように思います。でも、その中で共通して、私が非常に違和感を感じるのは、つかまったとたんに「犯人」が、実にしおらしくなること。
 少女は、長距離トラックの運転手の母と弟の3人暮らし。「中学時代にいじめに遭って、友人が少なかった。金があると周りからちやほやされる。金で友人を買っていた」などと供述しており、一緒に遊んだ友人には小遣いとして1万円を渡すなどしていた。

この手の事件だと、「いじめが」「両親が」とか、「友達が欲しかった」「寂しさからつい」なんて言い訳が毎度のこと。逆に言えば、「こういうことが言い訳になる」ということを、「学習」してしまったのではないでしょうか。

昔、あるテレビ番組で「いじめ」を扱っていたとき、「学校では受験受験で、ストレスが多すぎて、個性を尊重してくれないというか...」みたいなことを、「いじめた」側の生徒が延々と並べていました。テレビ番組もテレビ番組で、「彼らもまた被害者と言えそうです」という論調であり、「悪いのは社会だ、その代表である学校だ」と、いう結論でくくっていたと記憶しています。
自殺してしまった、人が一人死んでしまった、というのに、何ていいぐさだ、そんなことが言い訳になるか、そう思っていたんですけれど、どうやら、この国ではそういうことが立派に言い訳として通るようです。

子供は、バカじゃありません。「いいわけ」を与えてやれば、それを立派に活用します。今回の事例も、そういうことが言い訳として通ってしまえば、今後もこういう事件は増えてゆくことでしょう。

「自分よりも弱いものをくいものにする」という、人間として、もっとも恥ずべき行為、それを常習犯的に繰り返してきた彼女たちが、逮捕されて、ごくわずかの時間に、本当に自覚したというのでしょうか。はっきり言って、信じられません。

「そんなのが言い訳になるか」
問答無用のカミナリ親父の一喝が、何よりも必要な時代なんじゃないでしょうか。
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# by flight009 | 2006-09-30 16:00 | 治安と安全について思うこと

数字の落とし穴

ひさびさに、「数字の落とし穴」を見つけました。
Excite エキサイト : 社会ニュース
 従業員1000人以上の大企業の80%に、心の病を理由にして1カ月以上休んだ社員がいることが厚生労働省の調査で分かった。1カ月100時間を超える残業をした社員がいる大企業も44%に上った。


この記事を読んでどう思うでしょう?「大企業はやっぱりストレスが多いんだ」とか、「大企業が人を大事にしていない証拠だ」とか、思った人はいませんか?

そう思ったとしたら、あなたは「数字の落とし穴」に、まんまとはまったことになります。

ここのトリックは、「休んだ社員がいる」「会社の」数を調査していることにあります。
当たり前のことなんですが、大企業であれば、社員が多いので、「休んだ社員がいる」可能性は、それだけでも高くなります。純粋に確率の問題だということです。(「へそ踊りを踊れる社員」がいる率だって、同じってことです。)
問題は、「その要因」以上に、その確率が高いのか、ということになります。

では、調査結果を検討してみましょう。
それによると、過去1年間に心の病で休業した社員が1人以上いる会社は全体の3%。会社の規模が大きくなるほど増え、従業員数が300-499人で41%、500-999人で66%、1000人以上は82%だった。
 休業が1カ月以上に及んだ社員がいる割合を同様に規模別でみると、それぞれ35%、63%、80%だった。


「心の病で休業した社員」をモデルで考えて見ましょう。
人数の幅があるので、その中央値をとり、(1000人以上は、刻みを考えて1250人とします。)
400人の会社で41%、750人の会社で66%、1250人の会社で82%の会社に、
該当する社員がいると仮定します。これは、
400人の会社で59%、750人の会社で34%、1250人の会社で18%の会社に、
該当する社員が一人もいない、ということになります。
これから、それぞれの状況で「ある社員が該当する社員である確率」を計算すると、
400人の会社で0.132%、750人の会社で0.144%、1250人の会社で0.137%
と、いうことになります。

こう計算してみると、会社の規模と、「社員個人が、心の病で休業する確率」は、少なくともこの統計結果では、会社の規模によりほとんど変わらないことがわかります。(むしろ、中規模の会社が深刻である可能性がある。)

次に、「休業が1カ月以上に及んだ社員がいる割合」で、考えて見ます。同様に、
400人の会社で0.108%、750人の会社で0.122%、1250人の会社で0.129%

と、なります。

こちらは、確かに会社の規模が大きくなるにつれ、上がってゆく傾向があります。
ただ、「1ヶ月以上休業」することを、許容している、ということが前提ですから、当然、大企業のほうが多くなるのは当然という気もします。

もちろん、過労死をはじめとした種々の問題は深刻です。それに対して、対策が不要であるとか、そういうことを言いたいのではありません。ですが、こういう「誤解」を招くような数字の使い方は、やはりいただけません。これくらいの「分析」をしてから、報道するのが、本当のマスコミの使命だと思うのですが....

いずれにせよ、こういった数字にだまされないよう、気をつけたいものです。
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# by flight009 | 2006-09-30 00:06 | マスコミに思うこと

お手並み拝見

米国の科学者が中心となって、冥王星を惑星からはずすことへの異論が出ているという。
Excite エキサイト : 社会ニュース
 署名の呼びかけ文は「我々はIAUの定義に同意できず、使わない。よりよい定義が必要だ」と訴えている。そして、IAUには1万人近い会員がいるのに、採決に参加したのはわずか400人余りだったと指摘し、09年の次回総会まで放置すれば、教育や社会を混乱させると主張した。

 UPI通信によると、スターン博士は来年、天文学者ら約1000人を集めて、代わりの定義を作るための会議を開こうと計画している。

ネットの意見を見ると、おおむね批判的な意見のようですが、自分としては「お手並み拝見」というところでしょうか。

もともと、「惑星」というのは、「惑(まど)える星「」という意味です。それはどういうことかというと、地球から見たときに、そのほかの大半の星のあいだを、まるでさまようがごとく移動して見えるからです。
簡単に書きましたが、これは「天動説」の時代からの話で、コペルニクスにより「地動説」が提案され、ガリレオなどの努力により「定説」となるまでは、惑星というのはさぞや不思議な星だったでしょう。

ちょっと面白い話があったのでリンクします。
コペルニクスの地動説(1543)

ちなみに、このころ惑星は火水木金土の、5つしかなかったわけです。
望遠鏡その他の観測技術の発達により、その後、惑星が次々と発見され、「冥王星」の発見で、9つまで増えました。しかし、10番目の惑星ではないか、と、いわれた2003UB313あたりから、話がややこしくなってきました。

【参考URL】
http://www.rweb.ne.jp/astro/news/news0510.pdf

この時点では、惑星というのは、太陽の周りを公転している天体で、小惑星や彗星ではないもの、という程度の認識だたっと思います。ところが、小惑星の中にも、冥王星の半分くらいの天体もあるともいうし、冥王星よりも大きな天体が発見されてしまうわ、それ以上に大きな天体がありそうだということになるわで、そんなあいまいな考えじゃ、どうにもならなくなってきたわけです。そして、今回の騒動に至るわけです。

今回の騒動は、我らが「太陽系」の、世紀の仕切り直しです。そう簡単に、結論が出るわけでもないと、自分も思います。だから、米国の天文学者が「新しい定義を考える」というのであれば、それは大変に結構なことです。その結果、今の定義よりも鮮やかで、客観的な定義ができるのであれば、それはそちらにしたって構わないでしょう。

でも、それができなかったらそのときは、あきらめてみんなに従って欲しいと思います。それができなかったとき、宇宙開発で世界をリードしてきた米国は、その権威を地に落とすでしょう。

なぁに、冥王星は逃げやしません。ここはじっくりと、彼らのお手並み拝見と行きましょう。
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# by flight009 | 2006-09-03 21:44 | 科学技術について思うこと

がっかりすることないです。松本先生。

冥王星が「惑星」ではなくなるという
Excite エキサイト : 社会ニュース
チェコのプラハで総会を開いている国際天文学連合(IAU)は最終日の24日、全体会議で惑星の定義案を議決、1930年の発見以来76年間、第9惑星の座にあった冥王星を惑星から降格する最終案を賛成多数で可決した。

それに対して、あの松本零士先生が、こんなことをおっしゃっているとか。
 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」では、冥王星は敵の前線基地が置かれたり、人間の墓地として利用されるなど、太陽系の重要な惑星として描かれた。
 原作者である漫画家の松本零士さん(68)は「冥王星こそが太陽系の果てで、そこを離れることが太陽系から外宇宙に旅立つことだと描いてきた。今回の決定は、論理的には正しいのだろうが、多くの人が少年のころから抱いていた夢、心情的なものにも配慮してほしかった。心構えができていないうちに突然決まってしまった感じがする」と残念そう。そのうえで「冥王星はこれからも太陽系の一族だ」と強調し、存在感が低下しないよう何らかの形で配慮してほしいと訴えている。


松本先生も、今回の一件について、誤解されているんではないでしょうか。
今回の決定の背景は、冥王星の周辺には冥王星と同程度の「星」が、かなりあるらしいことがわかったからです。いってみれば、太陽系の一番外側には、小惑星帯のようなものがもうひとつ取り巻いていて、冥王星というのは、その一つらしいことがわかったということ。たしかに今までの太陽系のイメージとは異なるかもしれませんが、それはそれで、SF作家のイマジネーションをかきたてるには十分なネタなんじゃないでしょうか。

自分としては、今回の決定は、むしろ冥王星という「天体」を、特別なものと位置づけるものではないかと思います。惑星でも、もちろん衛星でもなく、太陽系の一番はずれを、静かに、ゆっくりと回る天体郡、「冥王星系天体」と呼ぶ案もあったといいますけれど、むしろ、そのほうがよっぽど「太陽系の果て」のイメージにぴったりくるんじゃないかなぁ、とか。

松本先生にはそんなことで不平をもらしてないで、SF作家らしく、ヤマトのストーリーを、新しい太陽系観にフィットさせるくらいの気概を見せて欲しかったですね。最近、「銀河鉄道物語」をVODで見倒した、ファンの一人としては。

最後に、専門家の言葉を同記事から
 ▽観山正見・国立天文台長の話 他の八つの惑星とは形成過程が明らかに違う冥王星が惑星に入らなかったことは、適切な結果だ。冥王星がなくなったわけではなく、残念に思う話ではない。今回の議論の内容を国民の皆さんに正確に伝えていきたい。

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# by flight009 | 2006-08-29 23:20 | 科学技術について思うこと

民意と官意と大きな声 ~外来生物法のパブリックコメントから~(13)

民意と官意と大きな声 ~外来生物法のパブリックコメントから~(12)

また、ずいぶん間が空いてしまいましたが、続きをさせていただきます。

さて、いよいよ迎えた「31日の全体会合」ですが、議事録は下記にあります。

第2回 特定外来生物等専門家会合議事録

この会合は、オオクチバスばかりではなく外来生物全体の会合ですので、いろいろな分科会からの報告が次々と上がります。この中で「セイヨウオオマルハナバチ」と「オオクチバス」以外のものについては、すんなりと報告内容が了承されます。
そして、「セイヨウオオマルハナバチ」について、少々突っ込んだ議論がなされますが、こちらも大筋、報告どおり、「一年、再検討する」ということで、了承されます。

そして、いよいよオオクチバスの議論になります。

まず、多紀委員(小グループ座長)から、小グループの結論について報告があります。

資料3-4 オオクチバスについて

内容についてはもう繰り返しませんが、「指定は必要だけれど、猶予期間を置くべし」という結論が、同委員会で報告されます。

さて、その意見いついて、まず村上委員(哺乳類委員)から、かなりしつこいまでの「確認」が行われます。
【村上委員】 新聞報道によれば、小池大臣の意向を受けて、環境省は指定する方向にしたというのが載っていましたが、これはうそなんですね。
【審議官】 正確なものは別として、大臣としてはまず指定すべきだという考えを表明されたということで、同時に専門家の方々の見地から検討していただいているので、その結果というのを見たいということです。
【村上委員】 聞きたかったのは、それを受けて環境省が指定することに決めたという報道が載ったんですが、それは違うんですね。
【審議官】 それは報道の方の書き方というふうにご理解いただきたいと思います。今でも全体この検討の過程というのは、基本方針を定めて、専門家会合を開催をしていただいて、小グループを開催していただいて、この結論を出していただくと。その後続くのは、またいろいろな意見がございますけれども、そういった一連の基に進んできているということでございます。

三度、四度と繰り返されるこの追及をさえぎるように、小野座長がこう割って入ります。
【小野座長】 特定外来生物のこの委員会の座長として、私の感想を申し上げておきますが、非常に私はフライングは困ったことだと思ったんです。というのは、これだけの真剣な議論について、非常に難しい問題を議論しながら動いているわけでありますので、それをどういうふうにご理解いただいたかわかりませんけれども、責任のある立場の人がぱっと言っていただくと、影響は甚大だと。しかしその方向性についてはとやかく申しませんけれども、少なくとも慎重であっていただきたいというふうに私は要望したいと思っております。
 今日の議論は、そういうことで、今、審議官の方からもご説明がありましたけれども、その大臣の発言と私どもの結論とは関係ありません、直接に。後で関係するかどうかは、それはそれぞれ勝手にお考えくださればいいんであって、そういうふうに私は理解して準備を進めております。

このように、大臣の「ツルの一声」を否定することから、議論は始められました。

そして、議論は続けられますが、「バスの指定は猶予する」という意見に対して、村上議員が反対意見を表明します。

○広い水域でいちいち影響を証明するなんて非常に難しい。「あるところできっちり証明されたら」、広い水域でも証明されたものとして扱うべき(狭い水域でバスの影響のデータはあるが、バスの影響が完全に証明されているではない、という小グループの意見に対して)
○まだバスが拡散していないところはあるのだから、指定することには意味がある。
○防除の準備がどうこうというのであれば、他のグループもみんな指定できなくなる。「私はもう指定した上で、その後で考えるべきだと。」

次に、岡(敏)委員(経済学)が、意見します。

○セイヨウオオマルハナバチは、一年待つことに意味が見出せるが、バスを半年待つ理由が釣り人の心情やバス釣りへのイメージの問題なら、半年待ったところで何も変わらない。
「半年延期するということに法律上さしたる根拠が認められないということが疑念です。」

この「半年」の意味について、「上杉企画官」が、指針をまとめる時間等の理由を挙げますが、岡(敏)委員は「理解できない」と一蹴、いくつかのやり取りはありますが、小野座長が、小グループの報告も、魚類グループの報告も、「指定が必要」であるという意見が「結構強い」とし、現状のデータを考えれば、まず指定することが重要だ、として「耳を澄ましてお聞きいただきたい」と念押しした上で、下記のようにまとめます。
 オオクチバスについては、その生態系等にかかわる被害を防止することが喫緊の課題であり、特定外来生物に該当するものと考えます。よって、第一次の指定対象に含めることが適切であると考えます。なお、既にオオクチバスが広範囲に分布している実態にかんがみて、防除をどのように進めていくかについての早急な検討も重要であると考えます。


この時点で、オオクチバスがリストに名を連ねることが決まりました。

小野座長の議事の進め方は、たしかに強引な印象も持ちます。ですが、そもそも小グループの「報告」が、釣り人の「心情」やら「イメージ」やらの問題を理由としていて、科学的な根拠に乏しかったことが、ここで露呈した格好です。

そう思ってみると個人的には、「本当に茶番」に終始した結果が、最後の最後に噴出した、と、言えそうに思います。

さて、この後に意外などんでん返しが待ち構えていました。申し訳ありませんが、まだ続きます。
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# by flight009 | 2006-08-16 00:54 | 連載-民意と官意と大きな声

よく止めた。

富士急ハイランドの新型コースターで、異音を感じた係員がコースターを緊急停止させたという。
Excite エキサイト : 社会ニュース
同社によると、3日午後7時50分ごろ、コースターがホームに近づき、オペレーターがブレーキを作動させた直後「ガシャ」という金属音がした。非常停止ボタンでコースターはホーム手前約15メートルで停止、乗客18人は非常点検用通路でホームに戻った。けが人や気分が悪くなった人はいなかった。営業前点検で異常はなかったという。
考え方はいろいろあるだろうけれど、私はあえて「よく止めた」と言いたい。

と、いうのは、言わずもがなの埼玉県のプール事故。あの事故についてはいろいろな問題があるけれど、最後の最後、格子蓋が外れているのが確認された段階で、ただちに流水ポンプを止めていれば、この事故は防げた可能性が高いのです。

今回の富士急ハイランドの事例では、(1)ちゃんと係員が装置を停止できるシステムがあり、(2)係員が異常を監視しており、(3)装置を安全に停止したわけです。この点、埼玉のプールとは大きく異なるわけです。

実際、今回のトラブルはたいした問題ではないのかもしれません。ですが、緊急停止させれば、このような記事になり、お客さんの受け取り方次第では、売り上げが減ることだってありえます。それでも止めたこと、それはむしろほめられるべきことで、少なくとも叩かれるべき事ではないはずです。

少しでも異常があったら止める、それは安全の鉄則です。しかし、最近は「だましだまし」運用したり、無視して無理矢理動かしてしまう、「応急処置」のまま、何年のほうっておく、そんな事例がここのところ急速に「顕在化」してきたように思います。その裏には、経済性といえば格好はいいけれど、ようは「お金第一」の、きわめて危険な文化の芽が、育ちつつあることのシグナルではないでしょうか。
JRの脱線事故、シンドラーのエレベーター事故、トヨタのリコール遅れ、パロマの湯沸かし器事故、私にはすべて、同じような根っこがあるように思えます。

とにかく、何かあったら止めること、それは何より大事なことです。その意味で、今回の富士急ハイランドの事例は、ちゃんと「止める」という「安全動作」が行われたわけで、その点はきちんと評価するべきでしょう。

富士急は、今後もこのような報道に臆することなく、「安全第一」の運行を続けて欲しいと思います。
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# by flight009 | 2006-08-05 11:48 | 治安と安全について思うこと

夕張の思い出

Excite エキサイト : 社会ニュース
 同映画祭は90年、竹下内閣で創設された「ふるさと創生資金」1億円を使い始まった。同市と、市民や映画関係者で組織する実行委員会が共催してきた。17回目となった今年2月開催分の運営費は約1億円で、市が補助金約6500万円を支出した。市の持ち出し分は全額特別交付税で措置されたが、財政再建に向け抜本的な事業見直しを迫られる中、存続は困難と判断した。


実は、夕張は自分(と妻)が新婚旅行で行った所で、大変思い出深いところです。

思い出、といっても、実はおととしのこと、もっとも、私も妻も旅行運は相当なもので、梅雨を避けて北海道を行き先に選んだのは良かったが、台風にぶちあたって北斗星はとまるは、カメラは壊れて写真は一枚も残っておらんわ、台風の影響がのこってて、富良野は霧の中をさまようわ、帰り道、妻と2人でいつかこのリベンジをしようと固く誓い合った、といういわくつきのものでした(泣)。

でも、そんな道中の中で、実は、夕張滞在の2泊は、文句なく楽しかった記憶があります。
夕張といえば誰がなんといおーとメロン、「ゆうばりめろん城」とやらに行ったら、これがメロンそのものではなくメロンワインが主体だったのは誤算だったけれど、ためしに買ってきて宿で飲んだらこれがまたうれしい誤算。宿の食事では当然のごとくメロンを食べ放題と来て、きてよかったぁ、と、一安心したもんです。

そして翌日、「石炭の歴史村」に足を運びました。この一角(というか隣接して?)に「郷愁の丘」というのがあり、ここに、映画のミュージアムがありました。

実は自分、来るまで「夕張」が映画の町なんだとはぜんぜん知りませんでした。
そういわれると、街中に「97枚の名画の絵看板」があり、なるほど、と、得心した次第。(ただ、妻の実家の近くの東京・青梅市も似たよーなことをやってるんで、あんまりびっくりはしなかったんですが。)
ただ、自分もあまり、映画の趣味が無いこともあって、こちらのミュージアムは軽く流しただけ。実際、展示もパネルや小道具の展示ばかりだったんですが、映画「バトルロワイヤル」で使用されたという、血のついた衣装に辟易して出てきた、という感じでした。すぐさま、炭鉱の歴史村にとって返し、炭鉱の体験やら、SLの資料展示など、これは逆に自分の趣味のつぼにはまりまくって、妻があきれるほど堪能させてもらいました。

まぁ、そこは自分の趣味の問題が大きいのでおいておくとして、ミュージアムの入り口に「西部警察」で使用されたというパトカーがあったり、かつて夕張の町には映画館が16館もひしめいていたとか、昔は「弁士」の番付表があったんだとか、「へぇ」な無駄知識をそれなりに集めつつ、見て回ったことを覚えています。

そんなわけで、自分はホントに流しただけだったんですけれど、映画好きには結構、しっかりした展示だったのかもしれません。

ただ、今にして思い起こせば、「映画の街」といったところで、この映画のミュージアムと、映画祭、それに街中のカンバンだけであって、「これだけなの?」という感覚はありました。
街中で映画の撮影が行われていたわけでもないし、太秦の「映画村」みたいに、セットがあったわけでも無い。映画の町を名乗るのなら、ロケを誘致するとか、スタジオをあちこちに立てるとか、いろいろと方法はあったんじゃないか、と、思います。(やっていたのかもしれませんが。)それこそ、日本のハリウッドを目指す、くらいの気概はあってよかったと思います。

映画祭がとりあえず中止になった、ということ、それがどの程度のものであるのか、自分にはよくわかりません。でも、自分の夕張での思い出、それは、やはりメロンと炭鉱であって、映画ではなかったのです。

これから夕張市がふたたび映画を、メロン、炭鉱につぐ、大きな柱であり続けられるのか、それはなんともわかりません。
でも、「映画」をこれからも大事にするというのなら、今までとは違うアプローチを模索する必要があるんじゃないか、そんな気がします。
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# by flight009 | 2006-07-29 23:18 | マスコミに思うこと

シンドラー社製エレベーターの事故(技術者の視点)

私の本業は機械屋であり、今回の事件も他人事ではない。技術者はいつでも、ユーザーの命を預かっている。それは、直接お金を払ってくれる「お客様」だけではなく、その機械に触れ、頼り、利用する、「ユーザー」に対して、である。

もちろん、私はエレベーター屋では無い。だから、今回の事件について、簡単に結論は出せない。だが、今回の事件に関しては機械系技術者のはしくれとして、自分でもじっくり考えてみたい。お付き合いいただけるなら、お読みいただきたい。

まず、エレベーターの技術者の立場で考えてみる。
現在、今回の事故については、ブレーキの異常という可能性が浮上してきている。

Excite エキサイト : 社会ニュース
 東京都港区のマンションで都立高2年、市川大輔(ひろすけ)君(16)がエレベーターに挟まれて死亡した事故の原因として、事故機のブレーキの不具合が焦点として浮かんでいる。警視庁捜査1課の調べで、かごの昇降を止めるブレーキパッドが劣化していたことが新たに判明。構造的な欠陥があったか、保守管理に問題があるとみてブレーキ部分に重点を置いて検証していく。


今回のエレベーターは、シンドラー社の管理下にはなかった。この点は、事実として十分に考えなければならない。したがって、管理会社が、問題があったと考えられるブレーキなどの必要な部品について、点検を怠っていたのではないか、交換が必要であったのに交換をせずに済ませていたのではないか、純正では無い部品に変えていなかったか、整備方法に問題があったのではないか、ブレーキに油をこぼしてそのままにしていたのではないか、など、そういった可能性について、まずは疑う必要がある。

もちろんそうでない可能性も考えられる。今度は、管理会社の視点で見てみたい。特にシンドラー社が、エレベーターの管理会社に対して、どの程度の情報を提供していたのか、その点が問題である。
整備マニュアル等がちゃんと渡されていたのか、書かれている内容が適切であったのか、日本語で書かれていなかったりしなかったのか、特に、ブレーキの良不良、交換時期の判定方法はどのように指示されていたのか、そういったことの検証が必要となるし、警察も当然、その点を重点的に調べるであろう。こういった情報が提供されていないとすれば、当然、シンドラー社の責任は免れないだろう。エレベータの設計上の問題、特にプログラムミス等となれば、論外である。
いずれにせよ、現時点ではわからないし、逆に、騒ぎ立てずともすぐに結論が出るだろう。

しかし、設備機械の技術屋である私が非常に気になるのは、今回のように「ブレーキの不良が原因」だけで、人が死ぬような事故が起こることが、許されるのかどうか、ということである。

安全装置、特にその故障が即人命にかかわるようなものは、安全装置自身が故障したケースというものを想定するのが我々設備関係の機械を製造する者にとっては常識である。我々が日常、すくなくとも現在は、もっとも安全な乗り物と認識しているエレベーターが、「ブレーキが故障しただけ」で、このような「凶器」となるのだとすれば、この機械の安全性はもともと不足しているのではないか、というのが私の考えである。

今回、報道を通して耳に入る情報からは、ブレーキが故障したらこのエレベータはこういう結果を招くことが明らかであったかのように思えてならない。今、自分が知りたいのは、シンドラー社の技術者が、「ブレーキが故障したらどうするのか」どう考えていたのか、である。

私が作っている機械でも、安全装置は電気的なものと機械的なものを必ず組み合わせている。この機械が、人身にかかわるような事故を発生するためには、最低でも2つの装置が同時に壊れた上に、お客様がマニュアルで「やってはいけない」とされていることで、起こそうと思ってもそう簡単に起こせないことを起こさなければならない。電気的な装置が故障しただけでは、どうしても人身にかかわるような事故は起こらないように設計している。それでも、「一般の人」が触らないし利用しない機械であるから、この程度で済んでいる。一般の人が利用する装置であれば、もっと厳しい基準が山のようにある。

機械屋であれば、「ドアが開いているときに、何らかの原因でカゴが動き出すことを防止する機構」など、すぐに思いつく。そういう装置が装備されていれば、今回のような事故は発生しなかったはずである。私の感覚では、そういう機構がそう難しくない以上、搭載していなかったとするならば、大いに疑問である。

現在の日本には、製造物責任法という法律がある。この法律では、事故があったときに「欠陥」が存在していないことは、メーカーのほうに立証責任がある。今回の件について言えば、おそらくシンドラー社側に立証する責任があるのだろう。上記のようなことが「欠陥」に相当するのかはわからないが、いずれ明らかになるだろう。

もっとも、そのほかのメーカーがそういう装置を搭載しているかどうかはわからない、というより、報道がまったく触れていないところをみると、搭載していないのであろう。それでも、そういう事故がこれまで起こっていないとすれば、それはそれを裏付ける何らかの努力があるのだろうし、それは謙虚に知りたいと思う。そういった努力を果たしてシンドラー社がしていたのか、そんなところが自分の観点である。

また、結果的に管理会社のミスや落ち度であったとしても、それですむのか、というのは別の問題である。
航空機などであれば、事故の原因が直接にはパイロットの操縦ミスであったとしても、操縦ミスを防げなかった装置の設計、という観点でも話が進む。直接的な原因が管理会社にあったとしても、メーカーとしてそれで済む話ではないはずである。
だから、シンドラー社が早々に「この事故がエレベーターの設計や設備によるものではない事を確信している」といっていることが気になるのである。
現実に事故が起こっている以上、何らかの原因があり、それが自分たちの製品にまつわるものであれば、事故を未然に防ごうと考えるならなんらかの「改善点」は出てくるはずなのである。

この声明を読むと、実は確信しているのは、「設計や設備に」よるものではない、と、限定している。したがって、メンテナンスの体制や、マニュアルの不備等の可能性は排除していないとも読める。だが、上記したようにブレーキが故障したくらいで暴走する、とすれば、それを「設計の不備」ではないと言い切るのはあまりにも早計ではないだろうか。

ともかく、今後の捜査や報道にはぜひ注目したい。

また、社会的、経済的な観点からも、できれば意見してゆきたいと思う。
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# by flight009 | 2006-06-10 22:32 | 治安と安全について思うこと

あたりまえだぁべらぼうめぃ

Excite エキサイト : 政治ニュース
 02年度から小中学校で導入された現行学習指導要領に基づき、福岡市内の小学校のほぼ半数に当たる69校で、6年生の社会科の通知表に「愛国心」を3段階で評価する項目が設けられた。市民団体が反発し、03年度はいずれも削除された経緯がある。

 志位和夫氏(共産)がこの通知表のコピーを示し、評価の是非をただすと、小泉純一郎首相は「評価するのは難しい。あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないか」と答弁。保坂展人氏(社民)の質問にも、小泉首相は通知表の例を挙げ、「小学生に対して愛国心があるかどうか、そんな評価は必要ない」と述べ、評価は不要との認識を示した。


例によってですが、藤原正彦氏の著作で「父の威厳・数学者の意地」という本があります。

この本の最後の章に、たいへん興味深い話がありました。藤原氏の息子が、修学旅行に行く前に検便をするように求められ、「そんなことをする必要があるか」と、藤原氏が拒否したことから始まった、大騒動の顛末を描いたものです。

検便を拒否した藤原家側に対して、学校は提出しなければ修学旅行に連れて行かないといい、「子供を人質のごとく考える親がいけない」という藤原氏に、「人質のごとくではなく、人質そのものなのよ」と応じる奥さん、夫婦の危機もはらみながら、怒涛のごとくの展開に、恥ずかしながら手に汗を握っておりました。

で、その中で問題になったのが東京都の当局が出した通達だったのですが、検便を実施することを「望ましい」とした、かなり昔の通達でした。
話の中で、東京都の当局は「決して検便を義務付けるものではない」といっているのにもかかわらず、「決めたことだ」といいはって、それを根拠として医学的にも必要性が認めづらい検便を「強要」する学校側、そんな姿をこの記事を読んで思い返しました。

あたりまえのことなんですが、「国を愛する心」を「評価」することなんてできるわけがありません。それは、「愛する」ということを、第三者が評価できるかという簡単な命題です。「できる」という人がいたら、私はそいつはどうかしているとしか思いません。通知表にそんな項目を付け足す輩があれば、そいつにはそういう評価をするだけです。

でも、愛を「教える」ということはできると思います。もちろん、愛するということはこうするんだよ、と、そんな風に教えるバカは本当のバカです。ですけれど、愛するということを教えることはできます。それは、国だけではなく、家族であり、友人であり、同郷人であり、そして、隣人であり、隣国であり、犬猫であり、学問であり、詩であり、歌でもあり、なんであれ、です。だから、教えるべきです。

教えることと評価することとが、一体不可分なものだとどうして彼らは考えたのでしょう。それは、国会という場にこんな事例を持ち出してきた志井氏や保坂氏についても同じことです。教えるべきことと、評価すべきこととはちゃんと分けて考えろ。徒競走のタイムは計らず、そんなことを評価しようとする今の教育は本当にどうかしている。そんだけのことです。
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# by flight009 | 2006-05-25 23:39 | 教育について思うこと