何をいまさら

Excite エキサイト : 経済ニュース
 時間外窓口サービス廃止へ 郵政公社、3600局で [ 04月12日 09時43分 ]
 2007年10月の郵政民営化を控え人員配置を効率化、コストを削減するのが狙い。公社は何らかの代替措置で利用者へのサービス低下を防ぐとしているが、過疎地などでどこまで現状のサービスを維持できるのか不透明で、自民党や地元から反発が出そうだ。

いまさらいろいろ言ったところで、こうなることはわかっていたはずです。それをあえてこの道を選んだのは、すべて国民の選択です。何をいまさら、それ以外言いようがありません。

こんなのはまだまだ、序の口でしょう。「市場原理」を信じ、郵政の「合理化」を、「民営化」の形で望んだのは国民であり、その結果として、遅かれ早かれこうなることは目に見えていたのです。こういうデメリットがあっても、それ以上のメリットがあると言われ、それを信じた以上、甘んじて受け入れるしかないでしょう。

この先、日本の郵政事業がどうなろうと、すべては国民の選択した結果です。国民全員で責任を取るしか無いのです。総選挙の結果、国民の半数近くが望んだことです。主権者の国民の責任です。責任は主権者が取るべきです。

「市場原理主義」の行き着く先、とくと見届けましょうとも。
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# by flight009 | 2006-04-12 23:10 | マスコミに思うこと

リンクの無いトラックバックを禁止しました。

業務連絡ですが、本日、設定を変更して、リンクの無いトラックバックを禁止しました。

直接の理由は、まったく関係の無いサイトからのトラックバック(スパムメールに近いもの)がここのところ多くて、いちいち消してゆくのが間に合わなくなってきたことです。
ただ、以前から申しておりますように、トラックバックとはそもそも、リンクしたことに対しての情報提供であり、リンクしないでトラックバックだけ送るということはそもそも間違っている、と、私は考えています。

もっとも、それでも、決して悪意ではなく、むしろ同意を示す形でトラックバックを送っていただいていた方がいたことは承知しています。ちゃんとトラックバックしたことを、別途コメントなどで挨拶しておられた方もおられます。そういう方には、申し訳ないという気持ちも確かにあります。
ですが、インターネットのロートルユーザーとして、やはり「相互主義」に基づく「本来の形」を大事にしたいとも思います。

それから、やはり、反論めいたトラックバックを送っておいて、そちらからはリンクしないという、卑怯なトラックバックはやはり淘汰されるべきものだと思います。
これまでにもそういうことは多かったのですが、そういう人は、他の記事などを読むと、「あぁ、リンクを張ると自分のボロが出ることを良く理解している人なんだなぁ。」と、思うことがだいたいでしたし、反論にもなっていないから当方の実害は無さそうなので、そんな場合は、たしかにほうっておきました。
ただ、私もそういう卑怯な輩を良しとしてきたわけでもありません。私はやはり、リンクとトラックバックを対にした、本来の形に戻すべきだと思うし、そうして初めて、トラックバックというものが真価を発揮すると考えています。

そんなわけで、御不便をおかけするかもしれませんが、何卒御理解のほどお願い申し上げます。
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# by flight009 | 2006-04-09 21:37 | ブログについて思うこと

藤原正彦氏、ラジオで語る

小学校での英語教育が義務化される方向であるということです。Excite エキサイト : 社会ニュース
 中央教育審議会の外国語専門部会は27日、小学校で英語の必修化を求めた報告をまとめた。アジア各国で小学校段階の必修化が相次ぐ中、英語コミュニケーション能力の育成が不可欠として高学年(5~6年)で平均週1回(年間35単位時間)の英語教育を行うよう提言した。実施時期や授業時間数などは今後、中教審教育課程部会が検討し、早ければ06年度にも行われる学習指導要領改訂で盛り込まれ、08年度にも実施の見通し。

私は先にも申し上げているように、英語教育を拙速に前倒しすることには反対です。ですが、リンク先の記事でもそうですが、ほとんどのマスコミの論調は、特に批判を加えていません。それはそうだろうと思うのが、いわゆる世論。実のところ、世論は圧倒的にこれを歓迎しているのです。それに異論を唱える度胸のあるマスコミなど、いるはずも無いだろうと、自分も半ばあきらめていたのですが.....

そんな中、本日(2006/3/28)、NHKラジオ第一放送のニュースに「あの」藤原正彦氏が電話インタビューで登場しました。

藤原正彦氏というのは、「国家の品格」という本を書いた数学者であり、日本人は「武士道精神」を取り戻すべきであるということを主張されている方です。
御存知の方は御存知と思いますが、この本をはじめ、同氏は英語教育の前倒しについては明確に反対意見を主張している論客の一人ですが、帰宅中の車中で聞いた、冒頭の「たっぷりと語っていただきます」というニュースデスクの言葉につれられて、帰宅するなり嫁を押しのけてラジオの前にかじりついて待つこと5分、ニュースは、大臣の会見から始まりました。
大臣は、「英語コンプレックスを無くすことがこれからの日本人にとって必須である」ということを主張します。それを受けての渋谷NHKスタジオパークでの街頭インタビュー、ほとんどの人が英語教育の早期化について賛成だと答えます。
しかしながら、と、ニュースデスクは切り出し、そんな動きに「待った」をかける人たちがいます、として、ベストセラー「国家の品格」の著者、藤原氏を紹介します。

藤原氏の主張の要点は、おおよそ以下のようなものであったと記憶しております。
(録音しようと思ったのですがテープが間に合わず、雄叫びを上げる1歳の娘をだましながら聞いたので、細かい間違いは御容赦を。)

追記:masi様とおっしゃる方から、内容について御指摘がありました。後のコメントを御参照ください。(2006.4.9)

○英語教育を前だおすこと、世論がそれに肯定的なことは大変に困ったことだ。
○小学校で週に100時間教育が出来るなら何でも好きなことを教えればいい。だが、実際には限られた時間しかない。その中で何を教えなければいけないかを考えねばならない。
○日本人の国語の能力は明らかに低下している。国語力はすべての基本。国語が出来なければ算数も理科も社会も何も出来るようにはならない。1に国語で2に国語、3,4がなくて5に算数、パソコンや英語など百番以下だ。昔の人は「1.読み2.書き3.そろばん」と、教育の本質を見事言い当てていた。
○英語はコミュニケーションの手段に過ぎない。大事なのはそのコミュニケーションの中で何を伝えるかだ。
○英語は本来「難しい」のである。現実に、何十時間とかけて勉強したって、身につかない人は多いのだ。数時間、小学校で教えたところで話せるようになると思ったら大間違い。そのうち幼稚園でも教えるとか言い出すのが関の山。
○だから、小学校で英語のために時間を割くよりもその分国語に力を入れるべき。
○英語などそもそも全国民がしゃべれる必要も無い。生涯に数回海外に行くか行かないかの人が、膨大な時間をかけて勉強したところでなんになる。その時間に古典や名作でも読んだほうがずっと有用だ。
○だいたい、本当に英語を使えるようになるには、中学校の英語の時間を倍にでもしなければ使えるようにならない。使えるようにするなら、選択制で英語を徹底的にやることだ。
○真の国際人であるには、英語力は関係ない。ただし、ここで言う国際人とは、海外で外国人の尊敬を受けることの出来る人、という意味だ。英語を話せても話す事に内容が無いという人、そういう人が一番世界では軽蔑されるのだ

「国家の品格」を読んだ人なら、だいたい書いてあったことと違わないことはわかると思います。私はもちろん藤原先生に賛成。

ただ、なるほどなぁ、と思ったのは、「英語は難しい」と、言い切ったことです。

日本人がなぜ英語を話せるようにならないのか、ということでは、これまで、「小さいころから勉強していないからだ」ということで片付けられていたと思います。それが、英語教育の前倒しの根幹でもあるでしょう。でも、よく考えてみると本当にそうなのでしょうか。英語を話せる人たちの、どの程度が幼少からの英語教育を受けていたのか。案外、客観的なデータは無いのかもしれません。その意味で、「英語は難しいからだ」というのは、それ以上に明快です。
(補足すると、「国家の品格」の中で、藤原氏は、英語と日本語は言語構造が最も異なる、だから日本人にとっては英語が難しい、と、説明しています。)われわれも、いろいろと考え直すべき時期なのでしょう。

私は、藤原氏の主張は、「国語がおろそかになっている」ことに対する危機感からのことと理解しています。国語力が国民に十分に身についていつのであれば、それが低下する心配が無いのであれば、英語を幼少から教えることも大変結構なことでしょう。ですが、実際には今、日本人の国語力は大変に低下しています。そんな時間があれば国語をしっかり教えろ。そういう氏の主張には、自分も諸手を挙げて賛成します。

思い起こしてみると、実は自分も国語の成績は極端にダメでした。でも、苦手だったのは漢字の書き取りや文法など。作文もあまり得意ではありませんでしたが、読解問題だけはそれなりにできました。古典も好きだったし、本もよく読みました。わりと濫読でしたね。もっとも、そんな自分を小学校の先生は「おかしい」と評していましたが。

氏の言葉は、実は英語教育に関するものではありません。国語、あえていうなら初等教育の根幹にかかわるものであるのでしょう。そんなことを思いながら、妻の白い目から逃げるようにラジオのスイッチを切った私でした。
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# by flight009 | 2006-03-28 23:50 | 教育について思うこと

「妊娠初期にも」?

Excite エキサイト : 社会ニュース 「妊娠初期も席を譲って」 厚労省マタニティーマーク
 「おなかの目立たない妊婦さんにも席を譲って」-厚生労働省は10日、外見からは妊婦と分かりにくい女性に、周囲が気付いて配慮しやすいようにするためのマタニティーマークを発表した。ポスターやバッジなどを想定、同省は交通機関や職場、飲食店、自治体や民間非営利団体(NPO)などに利用を呼び掛ける。


知っている人は知っていると思いますが、この手のマークとしてはベネッセ発行の「たまごクラブ」の別冊、「初めてのたまごクラブ」(通称「初たま」)の特別付録で「初たまストラップ」というものがあります。まさしく、今回のマークのようなものでしょう。民間のほうが官公庁よりも先んじていたというか、官公庁が後からまねをしたのかもしれませんが、それはそれとして、共通のマークを作るというのは悪いことでは無いでしょう。実際、このストラップの存在は若いママさんたちの間では知らぬものは無いようですが、男性や中高年、中高生などではどれほど知っているだろうかとは思います。新しいマークのほうでしっかり広報活動を行って周知徹底を図れば、有用なものだと思います。

実際、妊娠初期というのは流産の可能性が高いので、妊婦さんは転倒や人とぶつかることに非常に神経質になります。もちろん、不要な外出などもってのほか。自動車や列車、バスの利用は最小限にするわけですが、それでも、検診やらなにやらで公共交通機関の利用はやむをえない場合もあります。つわりでつらいなどの問題もあるのですが、それ以上に電車の中で立っているのは精神的にもつらいわけで、ぜひ、「プレママ」さんにはいたわりの心を皆様にもお願い申し上げたく。

ですが、それ以前の問題があります。

現在私の娘は1歳と3ヶ月、つまり、1年半程前には、妻は誰が見たってわかる押しも押されもせぬ妊婦さんだったのですが、それでも席を譲ってくれることは少なかったといってよいでしょう。妊娠中は自動車は使いづらい(マタニティシートベルトというものはあるが、妻が言うには「おなかの子供が苦情を言う」そうだ)ので、自分も妻と2人で電車に乗ることは多かったのですが、席を譲ってもらえるのは2回に1回もなかったと思います。それも、優先席に限ってで、優先席にすわってくっちゃべっている若いおねーちゃんたちに「じとー」と、冷たい視線を投げかけて譲ってもらえた場合も含めてです。
このような現状で、そのようなマークが制定されたところで、効果は限定的でしょう。「妊娠初期にも」というより、お年寄りや身体障害者、妊婦さんや乳幼児をつれた子供には、ちゃんと席を譲ってください、ということ、なんとかしてもらえないものでしょうか。

このマークの制定が、そういった社会マナーについて見直すきっかけになってくれればと思います。
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# by flight009 | 2006-03-11 09:36 | 教育について思うこと

できれば、駒大の生徒に聞いて欲しい

Excite エキサイト : 社会ニュース

駒大苫小牧高校の、3年生の飲酒喫煙による出場辞退、賛否両論あるようですが、自分は出場辞退もやむなしと考えます。

ひとつは、「連帯責任」というけれど、これは社会ではあたりまえのことだからです。

たとえば、JR西日本の福知山線の列車事故。事故を起こした車両に乗り合わせた社員の行動や、予定されていた宴会やレクリエーション大会を中止しなかった同社には、世間から大変な非難が寄せられました。その中には、事故とは直接の関係のない職場での行事も含まれているのですが、それでも、同じ会社の起こした事故だということでこのような対応が求められるのは、社会では「あたりまえ」なのです。
NHKだって、自衛隊だって、社会保険庁やその他多くの官公庁、一部の職員がした不祥事だって、その「集団」としての責任はどうしても免れません。時には、元職員ですらそのように扱われます。それが正しいとは必ずしもいえませんが、そういうものなのです。「一部の職員のしたこと」と、弁護してもらえるのは、マスコミに強い警察くらいのもんでしょう。
普通のサラリーマンだってそうです。お客さんと接する社員は、その会社の代表なわけで、その人がしたことはその会社のしたことと思われるし、その社員の振る舞いを見て、お客さんはその会社を判断します。一部の社員の行動が、会社をつぶすことだってあります。程度はありますが、どうしたって、集団に身を置いて行動すれば、その集団の一員として、連帯して責任を負う事は当然なのです。
たとえば、貴方が外国にいったとします。貴方のしたことは、外国の人から見れば「日本人」のしたことです。貴方が悪いことをすれば、他の日本人にも迷惑がかかるのですが、それはあたりまえのこと。そもそも連帯責任とはそういうことでしょう。

次に、本当に現役部員は無関係といえるでしょうか。

特に、「センバツ」というのは、過去の実績がものを言う大会です。そして、高校野球というのは先輩が後輩を指導して、その結果が問われるものでもあります。強豪校というものがあることが示すように、その伝統や歴史が、その強さにも結びつくものです。
今回の出場において、本当に3年生が「関係ない」、すなわち、今の1,2年生「だけ」ががんばって、もぎ取った出場であったのであれば、たしかに「かわいそう」ともいえましょう。ですが、必ずしもそうとは言い切れないと思います。
ピラミッドのように積みあがったブロックは、下のほうであっても崩れてしまえば、すべてが崩れてしまいます。3年生の功績あっての出場であれば、辞退は止むを得ないことです。

最後に、今回の件だけ、でもないということです。

知ってのとおり、同校では以前、体罰事件ということがあり、それで出場取り消しの瀬戸際まで言ったことがあります。ですが、このときには生徒の問題ではない、ということで、辛くも処分は免れました。今回の事件だけなら、まだ何か酌量の余地はあるかも知れませんが、いわば執行猶予中に起きた事件です。実際、今回の校長の会見によると、前の事件のときにそのような趣旨の説明が、高野連からあったといいます。
そして、これは推測も入りますが、飲酒や喫煙を、これまで後輩たちも気づいていなかったのでしょうか。今回補導された生徒たちが、卒業式が終わったから、初めて酒やタバコに手を出した、とは誰も思っていないでしょう。今までそういった事実があって、それを見てみぬふりをしていたのであれば、「連帯」ではない責任もあります。
いずれにせよ、今回の事件は「一部の生徒」というには人数も多いし、看過できるようなレベルでもないし、部として無関係ともいえないでしょう。

以上のようなことを考えると、今回の結果はやむなきことといえます。

読んでいないでしょうけれど、駒大苫小牧高校野球部の現役部員に申し上げたい。今回のことはまことに不条理なことです。ですが、辞退しないことよりは正しいことなのです。
社会に出ると、こういう不条理とも思える事態に遭遇することは珍しいことではありません。そんなとき、今回のことを思い出してください。そして、乗り越えてください。

艱難辛苦汝を珠にす、あなたがたが、日本の未来を背負う珠となることを願って。
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# by flight009 | 2006-03-04 18:22 | 教育について思うこと

ほんとはいろいろ言いたいけれど

Excite エキサイト : 社会ニュース 
卒業式シーズンを前に、東京都立高31校に通う生徒の保護者らが23日、東京都教育委員会に「日の丸・君が代を強制せず、内心の自由を保障した式にしてほしい」とする要請書を提出した。


ほんと、この問題については言いたいことはいろいろある。出来たらまた連載にでもしたいくらい。でも、まだ前の「連載」も終えていないし、問題が問題だけに、たぶん収拾がつかなくなるでしょうね。

ですから、あえて次の2つだけにして、読者の皆さんに「なぞかけ」をしてみたいと思います。

「日の丸、君が代は、掲揚および斉唱すべき」
「生徒に対して、日の丸や君が代を『拒否するように指導する教師は』処分すべき」

私の意見は以上です。

ただ、ヒントの意味を込めて、以前も申したように思いますが、今一度、この点を申しておきましょう。

個人がなんと思おうと、その人が日本人である限り、「日の丸」と「君が代」からは、逃げようがありません。なぜなら、「日の丸」も「君が代」も、「日本」の国旗であり国歌であると、世界中の人が知っているし、思っているのですから。
整形手術で顔を変えたって、その人はあくまでその人であるように、日の丸や君が代を拒否したところでそれがなんになるというのでしょう。
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# by flight009 | 2006-02-25 00:04 | 教育について思うこと

民意と官意と大きな声 ~外来生物法のパブリックコメントから~(12)

民意と官意と大きな声 ~外来生物法のパブリックコメントから~(11)

本業が佳境を迎えていたことと、NHK問題がらみもあって、相当間が空いてしまいました。今さらですが、続けたいと思います。

さて、なんとか結論を出した「オオクチバス小グループ」ですが、この結論を受けた「魚類グループ会合」で、この取り扱いを協議します。

第2回 特定外来生物等分類群専門家グループ会合(魚類)議事録

ここで、役所のほうからまず、大臣の意見として下記のような説明があります。
今日大臣からオオクチバスについてはまず指定ということを考えるべきであるという指示がありました。自然環境局長の私、あるいは担当の自然環境局としては、それを前提に物事を考えたいというふうに思っております。先生方同時に今日これからしていただくご議論、それから31日の専門家の全体会合のご意見が重要であることは引き続き同じでありますので、闊達なご議論をぜひお願いしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
この魚類グループ会合と小グループでは、実は座長が同じ多紀氏で、細谷氏も両方に顔を出しています。
多紀座長は、座長という立場もあるせいか、あまり意見しませんが、規制派の3人の委員が「苦慮の末最終的には同意をしてくださった」と前置きをして、結論を提示します。
両方の委員を兼ねていた細谷委員は口を極めて小グループの結論には納得できないと言います。他の委員も、すぐにも指定する必要性はあるというのが共通認識のようですが、「準備期間」「助走期間」という言い方で、この結論で行くのもやむをえないという結論でだいたいまとまります。そして、「半年後をめどに指定の方向で検討する」という小グループの結論を、魚類グループの結論として全体会合に報告すると締めくくりました。

ただし、このグループ会合では、バスの指定がどうあっても必要で、「できれば明日からでも」という意見では間違いなくすべての委員の一致しています。ですが、小グループ会合の結論を尊重するということと、この問題がそう簡単ではなく、指定することが混乱を招くことを意識して、「落としどころ」として、この結論を掲げていたものといえます。

そして、「31日の全体会合」を迎えます。

(まだ続く)
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# by flight009 | 2006-01-28 17:08 | 連載-民意と官意と大きな声

金の卵をつぶさないために

Excite エキサイト : スポーツニュース
フィギュア関係者が「トリノに出ればメダル確実」と口をそろえ、ISUのチンクアンタ会長でさえ「個人的には浅田を五輪で見たい」と話したが、「規則は規則だ」と特例を認めない方針を貫き通した。

本件、「特例を求めるべき」という意見が大勢を占めているようですが、自分は反対です。

本日のNHKラジオ第一放送の、10時のニュースで、インタビューを受けた専門家(名前は失念してしまいました。宇佐美さん..だったかな?)が、興味深いことを言っていました。要旨はこんな感じでした。
「医学的見地」とはいわれるが、オリンピックに出場するということは、本人の生活が一変するということだ。過去、15歳、16歳の選手が出場したことがあるが、生活が一変した結果、身を持ち崩してしまい、一時期選手として活動できなくなってしまったという例もある。復帰した例もあるが、選手としては完全にリタイアしてしまった人もいる。年齢制限を設けるのには、そういった配慮もあるのではないか。
私はこれを聞いて、なるほどと得心が行きました。たしかに、目前に迫ったオリンピックに、たった数ヶ月の違いで出られないということは、実に実に口惜しいことです。彼女が数ヶ月早く生まれていれば、とだれもが思うでしょう。
ですが、ほんの数ヶ月遅く生まれていたことのほうが、もしかしたら彼女自身も含めて、本当は幸運だったのかもしれません。今の時代、なんでもスピードで、目先のことにばかり注意が行きがちです。ですが、結果的にはそれがよいことなのか悪いことなのか、それは神のみぞ知ることでもあります。むしろ、規則を捻じ曲げてまで彼女を出場させることが彼女自身のためになるのかどうか、それは大いに疑問でもあります。

件のラジオ番組ではその後、「こういっては失礼かもしれないが」とした上で、インタビューアは、彼女は今が旬なのもしれない(という声もある)が、どう思うか、と、問いかけます。
これについて、専門家の彼女は「そう思いますか?」と、笑いとばした後、こんな内容で続けました。
彼女の強みは、プレッシャーや逆境を前向きに変えることができる明るさにある。私は4年後、もっともっと成長すると信じている
と。

4年後、彼女が今のような輝きを失うのか、さらに輝きを増すのか、それは確かにわかりません。ですが、私も彼女を信じ、ここは4年待ちたいと思います。

異論はありましょうが、金の卵をつぶす行為は、規則を変えてまで彼女を出場させることのほうではないか、そう思います。

P.S.ラジオで聞いた内容は、私の記憶に頼っております。聞き違い、思い違い等がありましたらお詫びいたします。お気づきの点があればお知らせください。

P.S.2.コメントをいただいて、誤解を生じないように一部改めました。よろしくお願いします。
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# by flight009 | 2005-12-19 23:43 | 教育について思うこと

NHKは「公共放送」なんです

NHK | Excite エキサイト : 社会ニュース特集

NHKの不要論、民放化、あるいはPPV化という意見は、最近ずいぶん増えてきました。
こういう意見は少ないですし、異論があることも承知で申しますが、自分は、これは日本に「公共心」が薄れてきたことと無縁ではないと考えています。

たしかに、現在のNHKは問題を多く抱えています。特に、金銭がらみの不祥事は一連の騒動の発端となっただけに、根深いものがあるでしょう。受信料だって、どのような形式で徴収するか、そもそも、もっと値下げもできるでしょう。これらを解決してゆくには、NHKを、作り直すくらいの覚悟で取り組まねばならないでしょう。NHKの解体なども、選択肢に挙がることは理解できます。

ですが、それは「公共放送」の必要性とはまったく無縁のものです。

たとえば、警察不祥事があれほど発生しても、「警察不要論」や、「警察の民営化」を口にする人はほとんどいません。NHKの不祥事はきっちりとけじめをつけなければいけませんが、だからといって、それが公共放送が不要だ、という議論にはなりえません。ですが...

「そんな事いったって、見もしない番組に受信料取られるのは納得いかねぇ。」
そういう意見が今、ネットや一部のマスコミなどでも見受けられるようになって来ました。この意見に私は一言申しましょう。

ここで、放送法の日本放送協会の項を紐解いて見ましょう。
放送法第7条 (日本放送協会の)目的
協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内放送を行い又は当該放送番組を委託して放送させるとともに、放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、あわせて国際放送及び委託協会国際放送業務を行うことを目的とする。


NHKの目的は
1.放送は「公共の福祉」のために行うということ
2.「あまねく日本全国において受信できるよう」にすること
3.「豊かで、良い放送番組」を提供すること
4.「放送およびその受信の進歩発達に必要な業務」を行うこと
5.「国際放送」を行うこと
だということです。

これをよく読んだ上で、NHKと民放の番組表を見比べてみると、そのちがいが見えてきます。ちょっと手近にあった12月5日(月)のテレビ欄を見てみましょう。

たとえばPM8時台、民放では、「イタズラ傑作ホームビデオ」とやらが全国に流れ、超能力者が凶悪事件の犯人当てをして、テレビ局がセッティングしただれかさんのお見合いを全国に放送している間、総合は野生のパンダのドキュメンタリーを、教育は福祉情報番組と、健康番組(腰痛の特集)を放送しています。
他の民放番組としては、御老公様が世直し行脚をされていて、、宇多田さんと工藤さんのボウリング云々というのは、内容がよくわからないのでコメントを控えます。

べつに、ここに挙げたような民法の番組が悪いとは言いません。私も御老公は大好きですし。でも、「公共の福祉」だとか、「豊かで良い放送番組」とは、あまりにかけ離れたものが、いくつか見受けられます。たしか、犯人当てはその後映像を使われた学校から抗議が来たと聞きましたし。

見比べてみれば一目瞭然ですが、NHKでは福祉や健康、科学や文化に関する番組が非常に多いことがわかります。はっきりいって、これほどの大量の低視聴率番組を、民放が流すことは考えられないし、絶対に8時台なんて時間には放送されないでしょう。こういった番組を必要とするのは、決してマジョリティではなく、視聴率を稼ぐことは出来ないことが確かだからです。

ブログなどでも「民放とNHKの番組に、もはや大した差は無い」という意見は散見されますが、こうして比べてみれば、明らかに大きな差異があることは明白です。たしかに、民放でも、NHKに勝るとも劣らない良い番組もありますし、NHKが不得意な分野もあります。が、絶対量でも、放送される時間帯などでも明らかな差異があるのは認めるべきでしょう。そしてこれらは、民放ではやはり実現できないということも、多くの人は素直に感じていることです。

さて、ここで、「自分が見ない」から、そんなものには金を出さない、そんな考え方がよいのでしょうか。
自分が通らない道路には自分の払った税金を使うな、自分の子供が通わない学校に税金を投入するな、自分の身内で無いものの医療費に自分の払った税金を使うな、そんな勝手なことをみんなが言い出したら、社会は成り立ちません。こういうことは、、「公共」という名前の下、みんながお金を出し合って、それで賄うべきものです。

道路は談合で無駄金を使うかもしれません。医者はいらない薬を出して薬価をかせぐかもしれません。学校では、さぼり魔の先生が月給泥棒をするかもしれません。それでも、必要とする人がいるから、こういったサービスは税金を投じて続けられます。

受信料というのも、「受信した番組の対価」とは、放送法のどこにも書いてありません。あくまで、先にあげたような目的のため、あくまでも公共の機関を運営させるために、便宜上、テレビを所有する人にその負担を求めたのに過ぎません。(実際、現在はラジオだけを所有している人からは徴収していません。テレビの受信料で賄われています。それはそれでいいか悪いかの議論はあるでしょうが。)

自分は、べつに今の受信料制度が最上のものとは思いませんし、むしろ欠陥は多いでしょう。その制度を議論することは、大いに賛成です。ですが、NHKは「公共放送」なのであって、有料放送なのではありません。そこを履き違えて、タダ見を含めた、受信料を払わない人が3割程度いる、というだけで、「買い手がもう結構と言っている商品」などというのは、まったく公共心の欠如としか言いようがありません。

海外の同胞に日本の声を届ける国際放送は、誰がスポンサーになってくれるのでしょうか。世界に冠たる放送技術を生み出してきた放送研究所も、いったい誰が開発費用を出すのでしょう。そういったことも含めて、「公共放送」の必要性は議論しなければいけないのに、今の議論はまるっきりその線から外れてしまっています。

「自分には必要ない」「自分には必要」、それだけで機関をつぶしたり作ったりしてゆくうちに、この日本がどんな国になるのか、私はそれを危惧します。

P.S. 読み返してみて、少々論点がぼけていたところがあったので、追記しました。(12/23)

P.S.2 下記のブログの記事、ぜひ一度御参照ください。
「NHKの受信料アンケート」 塞翁が馬でしょ(岡目八目様)
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# by flight009 | 2005-12-11 00:17 | マスコミに思うこと

トラックバックのマナーって

先日、私のWeblogのコメントに、トラックバックの仕方について意見されました。
「ネコ」さんとおっしゃるこの方は、こんなことを書き残しています。
TBだって、気に入ったページにTBしてそれっきりで良いはずです。だって、TBするのに相手の許可をとらないでしょ?
いい機会ですので、トラックバックってそもそも何なのか、自分のトラックバックに関する考えを書かせていただきましょう。

ネットの用語辞典で調べると、トラックバックについてこんな説明がありました。


IT用語辞典 e-Words 「トラックバック」

 ウェブログ(ブログ)の機能の一つで、別のウェブログへリンクを張った際に、リンク先の相手に対してリンクを張ったことを通知する仕組みのこと。
 ウェブログ作者が別のウェブログの記事を参照して自身のサイトにコメントを掲載するような場合、元の記事へのリンクを張るのが一般的だが、単にリンクしただけでは元の記事の作者はどこからどうリンクされているのか容易に知ることはできない。トラックバックはリンク元サイトに「このような記事からリンクを張った」という情報を通知する仕組みで、リンク元記事のURLやタイトル、内容の要約などが送信される。トラックバックされたサイトはこの情報を元に「この記事を参照している記事一覧」を自動的に生成することができる。

これを読めばわかるように、「トラックバックする」ということは、「相手先にリンクする」ことが、前提としてあるのです。言葉は悪いですが、 Give and Take すね。実際、ニュース記事に対してはだいたいの人がリンクを張っています。(これはマナーではなく、著作権法上、必要だという解釈もありますが。)

トラックバックという機能が画期的だったのは、WWWの「リンク」というものが一方通行であったものを、双方向にしたということにあります。つまり、今まではAさんがBさんのページに補足や意見をしたくても、BさんのページにリンクすることでAさんの読者がBさんのページを見ることは出来ますが、逆は出来ませんでした。情報は一方通行だったわけです。トラックバックは、それを双方向にしたわけです。
Web上の書き込みに対して、異なるサーバ間で、双方向のリンクを可能としたことで、従来のWWWとも、掲示板とも違う、新しいコミュニケーションメディアが誕生し、政治経済はもとより、趣味やお悩み、日常生活の随想にいたるまで、さまざまに活躍していることは言うまでもありません。

しかし、いつからか、トラックバックだけして、リンクも張らない、私から言わせれば失礼千万なやからが増えてきました。
TBを送るということは、限られた条件の下とはいえ、相手のWebページに自分が手を加えるということです。ある意味、人の家に土足で上がるようなところもあります。それでも、このようなシステムが生まれた、それはインターネットならではといえるでしょう。
前にも書いたことがありますが、インターネットはある意味、「善意」をあてにすることの多いシステムです。トラックバックも、「リンクした相手が」トラックバックすることを前提にしていて、無関係な人がトラックバックピングを送ってくることは、想像していなかったとは思いませんが、少なくともあまりないと考えていたのでしょう。それが崩れてきたことになります。もともとの意味もありますが、Bさんの作った記事に対するAさんの反論を、Bさんの読者が読めて、Aさんの記事を見てもBさんの記事は存在すらわからない、そんな状況を考えれば、トラックバックしたら、リンクを張るのは当然のことだといえるでしょう。

さらにいえば、TBするということは、少なくともその記事について何らかの意見を持っているはずです。本来は、TBしてリンクした上で何らかの、そのページに対しての意見、せめて「参考にしました」とか、あるいはトラックバックした先の一覧を書くべきでしょう。Weblogにはなくとも、自分のページのコメント欄に意見を書いてもらうだけでも、それはちゃんと考えてTBしてくださったんだと思いますが、自分の記事へのリンクも意見もなく、ただTBだけされると、なんとも言えずむなしいです。

たとえば、とにかく、同じ話題を書いているページには片っ端からTBする人がいます。そのような人からTBをうけて、そのページを見ると、山のように「TBのお返し」と、「お礼」が出ています。TBを返したところで、埋もれてしまうだけする意味もほとんどありません。このようにして、アクセス数を稼ごうとしているのか何なのかわかりませんが、私はこういう人にはお礼などいう気はありません。
先日は、「中国旅行から帰ってきました」とか、わけのわからない記事からのTBを受けたこともありました。どう考えてもTB先の記事とは関係ないので削除して、「いったいどういう了見だ」と聞いてみましたが、返事はなしのつぶて。そんな人もいます。当然、ダイレクトメールもどきのTBもたまにあります。

いずれにせよ、「双方向」が重要なポイントだったWeblogが、ふたたび一方通行のメディアに戻りつつあることは大変残念なことです。冒頭の「ネコ」さんのような考えが、むしろ幅を利かせていることは確かで、私のような考えのほうがどちらかといえばマイナーになってきているのでしょう。でも、あえて言います。トラックバックするならリンクしてください。まして、関係の無い記事からTBしないでください。

明文化された「ルール」がなくたって、物の道理や意義から生まれるものが「マナー」というものでしょう。マナーには罰則もありません。ただ、マナーは守らなければ不愉快な思いをする人がいるというだけのこと。私は、リンクするのはTBのマナーだと思っています。
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# by flight009 | 2005-09-13 22:47 | ブログについて思うこと