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もうひとつの選択肢

児童の携帯電話の使用に規制を行う方針が示されているようです。

Excite エキサイト : 政治ニュース

 こうした意見を踏まえ、報告書には(1)小・中学生に携帯電話を持たせない(2)機能を通話と居場所確認に限定する(3)有害サイトへの閲覧制限を法的に義務付ける――などの内容が盛り込まれる見通しだ。

 ただ、(1)に関しては実効性が問題視されており、(2)の携帯電話は商品開発が進んでいない。(3)には「表現の自由」との関係で異論がある。


実は、私はもうひとつの方法があると思っています。それは、「保護者がすべての通信内容をチェックできるようにする」という方法です。

子供の携帯やインターネットの使用で本当に問題なのは、子供たちが有害な情報に接するということそのものよりも、それをだれもコントロールできないということにあると考えます。
年頃の子供なら、たとえばポルノ雑誌やヌード写真などは読まないほうがおかしいし、それは今に始まったことではありません。こういうモノは、子供はそれなりの知恵を絞って、押入れやベッドの下などに隠しておくわけですが、もちろん、親は先刻承知。ほどほどに目をこぼしたり適当に処分したりして、一定のコントロールをするわけです。

ですが、携帯でもPCでも、インターネットはそうもいきません。子供が何をどの程度閲覧して、ましてそれをどう受け取ったのかは親には知る由もないし、子供も馬鹿じゃないから、簡単に履歴などは消去できる以上、そういうことはしていると見ていいでしょう。
そして、いわゆる学校裏サイトなど、子供たち自身がインターネットを一種の凶器にする事態も起こっています。これらはそれこそ大人たちの知らない世界であり、そこで何が行われていても、保護者は対処しようがないわけです。

もちろん、フィルタリングや、こういう手段自体を取り上げるというのは一案です。ですが、実は私自身、運営するサイトがブロック対象にされたこともあって、これらの手段には一定の限界を認めざるを得ません。(ちなみに、どう考えてもブロック対象となるサイトではなかったのですが、知人が言うには「肌色の背景を使用していたからじゃないか」とか。本当ならまさに絶句ですが。)
その意味でも、この記事のようなディフェンシブな対策には限界を感じます。

インターネットの使用というのは、子供たちにとって諸刃の剣ですが、インターネットばかりの問題ではないでしょう。大事なことは、子供たちが何をしているにせよ、それを大人たちがちゃんと見ているのかどうかということです。大人に見られてはまずいものは、そもそもやっちゃいけないんだということ、それが基本ではないでしょうか。

そういうことを考えていて思いついたのが、先に言ったような方法です。たとえば、携帯やPCで閲覧したページの内容を、子供たちには消せない領域にキャッシュしておくとか、子供たちが送受信したメールは自動的に親や教師に転送されるとか、そういう方法です。少なくとも、そんな環境では援助交際や学校裏サイトは運営できなくなることは間違いありません。

もちろん、子供にもプライバシーというものがあるという意見はあるでしょう。ですが、子供部屋に鍵をかけて、大人が一切立ち入れなくするタイプの「プライバシー」が、いいことなのか悪いことなのか、その辺からの議論だと思います。

問題点もあるだろうことは百も承知ですが、子供たちが犯罪に巻き込まれないこと、ましてや加害者にならないためには、現実的にはこういう方法しかないんじゃないか、そんなことを考えています。
# by flight009 | 2008-05-18 00:10 | 教育について思うこと

片側空けて、行列ができるこの国

エスカレーターは「片側をあけない」のがマナー? | Excite エキサイト
「もともとエスカレーターは片側をあけないで乗ることが基本です。片側をあけ、急ぐ人が歩いて通るというのは、自然発生的に生まれてしまったもの。本来は、ステップの黄色い枠の中に立ち、必ず移動手すりを持つというのが、正しい乗り方ではないでしょうか」
と、事務局長の井出さんは言う。
その理由は、「安全装置が動作した時や停電の時は急停止するから、転倒を防ぐため」ということ。また、なぜ両側に乗るべきなのかというと、「片側だと輸送効率が悪いという理由のほか、移動手すり側の手が不自由な人などもいるから」ということのようだった。
危険がともなう以上、エスカレーターはやはり「片側をあけない」のが、マナーのよう。それでも歩く人が絶えないことに対して、同協会にも「2人乗り用だから片側に寄ってしまうのであって、1人乗り用をたくさんつければいい」などという意見がときどき寄せられるという。

まぁ、空けるな、とは私も言いませんけど、エスカレータの使い方に関しては、最近どうかと思うことが多いです。

とりあえず、最近はエスカレータで歩く人自体、減ってきたように思います。マスコミで事故例なども紹介されて、エスカレータの上で歩くことが危険であるという認識が広まってきたからではないかと推測しますが、それは大変結構なことかと思います。
ですが、「片側を空ける」というのが、暗黙のルールとして残っているようなんです。そうするとどうなるかというと、片側がまったく空いているのに、立って乗る人たちの側に行列ができるんですね。
言うまでも無いことなんですが、両側使えば、時間あたり倍の人が移動できるので、行列はなくなるのですが、列があると並びたくなるもの人の性なのか、律儀に片側を空けたまま、行列は伸びるばかり。駅のホームのエスカレータなどでは、行列が伸びすぎて危険を感じることさえあります。
2人分のエスカレータを片側空けて、下では行列ができているサマはなんとも滑稽で、そのうち「世界びっくりニュース」かなんかで紹介されるんじゃないでしょうか。そうなれば、まさに日本人の恥ですね。
私はそういう時、空いている側に切り込んで(^^;)じーっと立って乗ることにしています。
そうすると、あとから1~2人続いてくれて、徐々に2列になることもあるし、誰も続いてくれなくて、一人ぽつねんと右側にいることもあります。
なんにせよ、この国の人はどういうときに頭を使ってるのかと疑問に思う瞬間ではあります。

もうひとつは、子連れで利用する場合です。
私も娘(2歳)と一緒に利用することがありますが、あたりまえですが、2人並んで使うわけです。当然、片側あけるわけには行きません。たまに後ろから煽られたりもしますが、これだけは譲れません。

で、私が気になるのは一人乗りのエスカレータではどうしろというのかということです。
並ぶのは難しいし、違う段に乗せるのもちょっと。だっこして乗るというのも考えましたが、荷物があったりしたら無理だし、だいいち、手すりにつかまれないから危ないだろうし。
一人用にしてしまえ、とか言う人って、本来なぜ2人分の幅があるのか、考えてないんでしょうか。幸い、娘といったところで一人用のエスカレータにはあたったことは無いのですが。

私としては、エスカレータがすいていれば、親子連れなどがいない場合なら、決まった片側空けておくのもいいんじゃないかと思いますし、実際、あけて乗ると思います。
と、いうのも、中途半端に空けないで乗っていたりすると、無理な追い越しを試みる人なんかもいそうで、かえって危ないかもしれないし。
要は個々人が周りを見て状況を判断してやればいいことなわけで、「あけないのがルール」などというものどうかとは思います。

とにかく、この国の人たちは「状況によって」ってことがどうしてこうも苦手なんでしょう。
「○側をあける」というのも、きっと最初は「すいているときはあけたほうがよい」だったと思うんですが、いつのまにか「どんなときでもあけなければならない」になって、いつも間にか親子で乗っていると舌打ちをされるようになってしまう、たまりませんね。

日本人の国民性が垣間見える現象ではあります。
# by flight009 | 2007-08-19 08:10 | 治安と安全について思うこと

実用化は大胆かつ慎重に

Excite エキサイト : 経済ニュース

リニアの実用化ということで、反論が噴出するかと思っていたら、ニュースもブログも案外冷静に受け止めているようで安心しました。

現在の東海道新幹線の建設のときに、「世界の3バカ」とまで言っていた知識人がいたようですが、現状を見てどう思っているのでしょう。愛・地球博の失敗を断言した人たちも、今は口をつぐんでいるようですが。

でも、だからあえて言いますが、実用化は慎重に進めて欲しいと思います。
逆説的ではありますが、新幹線も、愛・地球博も、内外のすさまじい逆風にさらされつつも、それらの課題に真正面から向き合い、汗と知恵を絞った結果、一定の成果を残すことが出来た側面もあるでしょう。あんまり、ちやほやしてしまうと、「誉め殺し」でかえって失敗するかもしれません。

技術的な課題もそうですが、政治的、経済的、あるいは社会的な課題もまだまだ山積しています。いざはじめてみれば、時には失敗もするでしょうし、費用や時間は予定通りには行かないものです。そういうとき、この国の「世論」はとても冷たいのです。釈迦に説法とは思いますが、それを、従事する人には十分に覚悟しておいて欲しいと思います。

温かい言葉は、そのときまで取っておきましょう。
# by flight009 | 2007-04-28 13:23 | マスコミに思うこと

「卑劣」で片付けちゃいけない

Excite エキサイト : 社会ニュース
特急電車内で女性が強姦された。当時、その車両には40人もの乗客がいたが、だれも犯行をとめようとしなかった。あまつさえ、誰ひとり車掌や外部に通報することもしなかった。信じられない卑劣さ。日本人のモラルは地に堕ちたのではないか。

被害者の方には、正直かける言葉もありません。ただ、それを「卑劣」で片付けるのは危険です。と、いいますか、このような事件は、実のところよく起こっているのです。

社会心理学では「傍観者効果」とかいうそうですが、数多くの人が周りにいたのにもかかわらず、だれも被害者を助けない、という現象は、しばしばおきることが知られています。傍観者効果というのが何なのかは、下記のページに詳しいのでご参照ください。

傍観者効果

<追記>傍観者効果とは、次のようなものです。(我流の解釈ですが。)
○「自分がやらなくてもだれかがやるだろう」「私よりできる人がいるだろう」と、『全員が』思ってしまう(多数の無知)
○「うまく処理できななかったらどうしよう」「むしろ迷惑がられるんじゃないか」と、失敗してそれを他の人に見られることを恐れる(聴衆抑制)
○「何かあっても、わるいのはおれだけじゃない」という、(自分への)いいわけをしてしまう(責任の分散)
つまり、その場に居合わせたのが「一人だけ」なら助ける、あるいは助けてもらえるのに、それが多数であるがゆえにお互いにけん制しあって、結果的に助けてもらえなくなるというのが「傍観者効果」です。
<追記終わり>

今回の事件からわれわれが教訓として得るべきことは、まわりに人がいるほど、逆にその人が助けてもらえないケースが、現実にあるということを、「知識」として持つべきだということです。それは、必ずしもその場にいる人の倫理や勇気の欠如によるものではなく、人間の心理にある「落とし穴」のひとつなのです。

落とし穴にはまらないためには、その落とし穴についてよく知っておくことが大事です。私としては、このような事件があったときこそ、「傍観者効果」のなんたるかを、社会に広く知らしめることこそ、マスコミの使命だと思うのですが。

あるいは、列車の社内の構造にも問題があったかもしれません。傍観者効果というのは、
○自分以外に問題に対処できる人間がいることがわかっている
○自分以外の人が、この問題に対処していないことがわからない
という場合に起こりやすいことですが、座席が林立して、中途半端に見通しの悪い列車の社内というのは、傍観者効果を誘発しやすい構造なのかもしれません。何らかの改善の余地もあるかもしれません。

対処しなかったものを、そうやって叩きのめすのは簡単ですが、それが再発防止に役立つかといえば、私には疑問です。むしろ、「なぜ」を冷静に問い、どうすればそれを防げるかを、精神論ではなく論理的に分析する、ある程度学術的なアプローチが必要でしょう。

いずれにせよ、そういう「基礎知識」すら微塵も感じられない、こんな記事が「報道」として扱われるということに、この国の危うさを感じます。
# by flight009 | 2007-04-26 01:25 | マスコミに思うこと

ならば兵庫県知事に聞きたい

石原知事を擁護するつもりはさらさらありませんが、さすがにこの発言はあんまりじゃないでしょうか。

Excite エキサイト : 社会ニュース
井戸知事は「阪神大震災の問題は、不意打ちだったということ。犠牲になられた方はほとんどが圧死だった」と指摘。「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと。関東大震災に対する備えとして、一番の防災責任者となる知事がそのような認識を持たれているのだとすると、いささか心配」と話した。

自衛隊の出動が遅かった理由についてはいろいろな意見や見方があります。ですが、「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと」と、本当に現職の知事が発言したのだとすると、これは由々しき問題です。

阪神の震災直後、自衛隊の出動が遅れたことについては多くの方面から批判が集まりました。当時のテレ朝系のニュースなどでは、自衛隊は大変なバッシングを受けていたのです。ですが、そのベースには「自衛隊が早く出動していればもっと助けられた命があったはず」という認識があるわけで、それ以降、「如何に迅速に、如何に効果的に自衛隊を展開できるか」を、平時から考えておくべし、というのは、阪神で得られた教訓となっているはずです。

自衛隊の出動、特に県からの出動要請が遅れたことについてはいろいろな問題点が指摘されており、単純に当時の知事だけの責任と言い切れない面もあります。ですが、この発言はそれとは次元が違います。「自衛隊派遣の有無と犠牲者の数は脈絡のないこと」と、本当に言ったのであれば、知事の発言は、この「教訓」を完全に否定するものです。

たしかに、「遅くて2000人が死んだ」というのはあまり根拠のある数字とも思えません。なくなった方の8割、5498人のうち4461人が、当日の午前中にはなくなっているので、2000人も助けられたわけが無い、というならそれはそうでしょう。(参考:http://www.hyogo.med.or.jp/EQDOTA.htm)
実際に自衛隊が動いていたとしても、当時の情報収集能力や初動体制が十分だったわけでも無いし、どれだけの人を助けられたのかはわかりません。助けられたのは100人もいるか、せいぜい数十人、もしかしたら数人かもしれません。でも、かけがえの無い命です。少なくとも「脈絡の無いこと」というほど無関係だったとは思えません。

知事の言うとおり、阪神は不意打ちであったことが被害が拡大した一番の理由です。ですが、その責任は誰にあるのでしょうか。東京は、阪神の前から、それこそ何十年も、いつ起こるかわからない大地震を、「必ず起こるもの」として対策してきたし、東京都民はそれなりには構えているといえます。知事に心配してもらわなくても、「不意打ち」を食らうおそれはありません。

兵庫県知事が、そういう発言をするなら、私もぜひ聞きたいことがあります。
「兵庫県南沖地震に対して、備えをしていなかった兵庫県の責任というものを、知事はどうお考えなのでしょうか。」
# by flight009 | 2007-04-10 01:31 | 治安と安全について思うこと